
みんなちがってみんなどうでもいい
ジェーン・スーさんの人生相談
Podcastフリークの私は最近、ジェーン・スーさんの人生相談のコーナーにハマっている。
ジェーン・スーさんのどんなところが好きかと言うと、飾らないところ、成熟しているところ、俯瞰しているところ。
そんなジェーン・スーさんがちょいちょい使われる言葉「抜けた」感という言葉が好きで、
ミドルエイジになった私にも実感があるかも。
先日もゲストの田中みな実さんに
「みな実ちゃんも抜けたよねー」
と言っていた。
人間関係の悩みはどうでもよくなることで解放される
寄せられるお悩みの大半はやはり人間関係。
自分が人からどう思われているかとか、人と比べて劣っているのではないか、とか特に女性は結婚してるとかしてないとか子供がどうとか。
そんな相談を聞くジェーン・スーさんに結婚歴はなく、子供もいない。
本人いわく「未婚のプロ」。
相談者さんは他人との比較や自分はこのままでいいのかという不安を話されるが、ジェーン・スーさんの着地点は、自分の好きや夢中を人生の中心に据えたら、そんなことは「どうでもよくなってくる」、に落ち着く。
「抜ける」とは、どんな感じか
モヤモヤ ざわざわ ちくちく ぐるぐる
そんな状況から「抜ける」とき。抜けるときは気がつかないうちに抜けている。
それは自分が他者からジャッジされていると感じたり、自分自身をジャッジしたり。そんなことが「どうでもよく」なり、土俵から降りたとき「抜けた」と感じるのではないだろうか。
落合陽一さんの「みんな違って、みんなどうでもいい」
「どうでもいい」と言えば、落合陽一さんのこの言葉。なかなか自分ではうまく要約できないのでこの世界観をChatGPTにまとめてもらった。
落合陽一さんの「みんな違って、みんなどうでもいい」という言葉は、一見冷淡に聞こえますが、彼特有の視点から現代社会や多様性についての洞察を示しています。これは、金子みすゞの詩「みんな違って、みんないい」へのオマージュを含みつつ、現代社会の価値観への批評でもあります。
考えられる真意
1. 多様性は当たり前であり、特別視しないという態度
「みんな違っていて当然だから、いちいち誰かの違いにこだわる必要はない」という意味合いが含まれています。多様性は大前提であり、個々の違いに過度に囚われず、それぞれが自由に生きればよい、という立場です。
2. 他人の評価や価値観に左右される必要はない
社会は多様な価値観であふれているため、「自分がどう生きるか」だけにフォーカスすればよい、というメッセージです。誰かに合わせたり、評価を気にしたりするよりも、自分自身の軸を持つことの大切さを示しています。
3. 過剰な同調圧力へのアンチテーゼ
「みんな違って、みんないい」と言いながらも、実際の社会は同調圧力が強いことがあります。落合さんは、「違いを認める」という表面的な価値観を超え、「そもそも違うことは当たり前で、そこに評価や善悪は不要」という視点を提示しています。
4. 人間関係の距離感と多様性のリアル
「みんなどうでもいい」という言葉には、必ずしも無関心や冷淡さだけでなく、「深く干渉せず、お互いが程よい距離で自由に生きるほうが健全」という考え方が潜んでいます。多様性を尊重することは、無理に理解し合うことではなく、互いを放任する寛容さも含まれます。
まとめ
このフレーズは、現代の多様性や価値観の混在する社会において、「違いを尊重するとは、わざわざ騒がず、干渉し過ぎず、各々が自分らしく生きればいい」という落合陽一さんらしい、クールで合理的な哲学と言えます。
まとめ
落合陽一さんの「どうでもいい」は一見冷たいようで、あかぬけた「やさしさ」がある。
ジェーン・スーさんの「抜けた」も落合陽一さんの「どうでもいい」も根幹は同じ。
人をジャッジしたりされたりすることで勝ち負けなんてないし、「いい」「悪い」の二元論で物事は決まらない。
よく分からない判断軸から抜ける。
「どうでもいい」と思う。
そうすることで初めて自由になるんじゃないかと思った。
最後までお読みいただきありがとうございました。