「与える人(Giver)こそ成功する」の罠#75
今回は赤坂美保さんの投稿からインスパイアを受けて、適切なタイトルが思い浮かばなかったので、タイトルまでまるまる、パクリ( ・∇・)笑
(美保さん許して)
「与える人(Giver)こそ成功する」については私が勝手に大好きな澤円さんもギブファーストを提唱していて(「提唱」かどうかはわからないけれど、Google検索したら最上位に出てくる)
全くその通りと思うのですが、
やり方を間違えると落とし穴があるのではないかとモヤモヤしていたところ、ちょうど美保さんが記事にしてくれました。
また高橋晋平さんもVoicyで話してくださっていて、モヤモヤの正体がなんとなく分解できたと思うので、私も記事にしてみます。
ギブした人はみんな成功するわけではない?
まず、ギバー、テイカーの言葉を世間に浸透させた本、ペンシルベニア大学ウォートン校教授 アダム・グラント氏の「GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代」より。
ここであれっ?と思ったのは、ギバーは無条件に成功すると言うわけでは無いのだということです。
幸福なギバーと不幸なギバー
それでは成功する、というか幸福なギバーとそうでないギバーはどういう違いがあるのでしょうか?
私が気づいたポイントは3つです。
①自分の力量以上のものを与えない
人に与える、というのは、分け与えるだけのリソース、知見経験があってのこと。
先日、地下鉄でヤングケアラーのポスターを見て心が痛みましたが、彼らは与えるだけの力量がないのに、強制的に与える行為をやらされている。
とても健全とは言えないし、心が痛みます。
仮に与えるだけの力があったとしても、家族、そっちのけで仕事に滅私奉公し、家族や自分が傷ついていたら、幸せな状態と言えるでしょうか?
ギバーになることの目的を考えず、闇雲に与えない。
自分が与えられる範囲のものは何なのかを考えてみることが大切だと思います。
②見返りを求めない
見返りを求めては、単なる取引、ビジネスになってしまいます。
対価をやりとりする取引は社会には必要ですが、今回の趣旨ではありません。
水谷アスさんはVoicyで「お金を目的とした行為は、不思議と何にもつながらない」というエピソードを紹介してくれています。
反対にパーパスに沿って、愚直に行動していたら、多くの応援者が現れた、とのことです。
見返りやギブに対する解像度を上げる高橋晋平さんの放送も発見!
③与える側、与えられる側が同じステージに立つ
澤さんがフィリピンに行った際、たくさんのストリートチルドレンが物乞いをしてきたそうですが、確かにかわいそうだと思うけれど、彼らに一度お金を与えたところで解決にはならないのです。
澤さんが分身みたいに何人もいて国中のストリートチルドレンにお金を配る、なんて無理だし、仮にそれができても一時的な助けにしかならない。
それはお金を与える側、与えられる側という厳然とした関係性の隔たりがあり両者に一過性のものしか生まないと思うからです。
またお金を与える方も、他にお金を貰えなかった子供たちのことを思うと、もやもやが残ります。
布施の心
ここでふと、思い浮かんだことが、仏教の布施の心という言葉。
布施の心とは布施する人、受ける人が対等なんですね。布施した方がエライとか布施したもの大小は関係ない。
三輪とは布施する人、受ける人、布施したモノの3つを言うらしいですが、これらにこだわりを持たないことで初めて布施というのだそうです。
執着の心を持たない、一緒に作りあげる
これらを総括すると、幸せなギバーのあり方は与える与えられるの関係性が固定化しない、同じステージでその場を共有し、お互いに成長や発展がある、ということが言えそうです。
そこに、執着の心があると、なぜ返してくれないのかという怒りやモヤモヤに繋がります。
「布施」の「布」は敷き広げられることから「ゆきわたらせる」という意味があるそうです。
中島みゆきさんの「糸」の歌詞のように、送り手と受け手が布を織りなし、同じ世界を作る。
それは人から強要されるようなものではありません。
高橋晋平さんはギブと言う言葉が色々意味を取り違えそうなので、もっといい言葉がないかな、と言っていましたが、「布施」とすると余計勘違いされそうなので提案するのはやめておきます。笑