「正論で殴る」から「一座建立」へ #3
最近「正論で殴る」という言葉がネットスラングで流布してることを知りました。
「正論」には暴力的な破壊力があり、ときには相手に取り返しのつかないダメージを与えてしまうと言うこと。
「正論」のメリケンサックの画像までバスってたみたいです。( ̄∇ ̄)
正論で殴られたらどうなるか
以前の私も職場で毎日正論でぶん殴られ続けられ
「パトラッシュ 僕は疲れたよ」と言う感じになっていて、家族やみんなの支えにより、何とか自分を保つことができました。
夫にその話をすると「例えのその状況って死にゆく状況だから」と笑われました。
正論がなぜそんなに破壊力を持つかと言うと、その言葉を発した人は、
オマエが100%間違っていて自分は100%正しいと言う前提に立たれていて受けた者は、
あらかじめ逃げ道が完全に遮断されているからだと思います。(>_<)
正論で殴る人はどんな人?
正論で殴る人は決して悪い人ではなく、むしろ正義感が強い人だと思うんですね。
ただ正義感ゆえ人の「欠けている」ところを指摘して「正しい姿」にしようとしているのだと思うのです。
人の欠けている部分だけを指摘するのは、ただのバカ
この「欠けているところを指摘」、については澤円さんは前回も紹介した「メタ思考」の中でズバっと「人の欠けている部分だけを指摘するのは、ただのバカ」と言っていて、なんと視力検査に使うランドルト環を例えに出してくれています。
私はこの例えによってなんだか救われたような気がしました。それでは正論で殴らないための指摘の仕方はどうすれば良いのでしょうか?
◼️図解◼️ 正論で殴らないための指摘の仕方
これについては澤円さんの奥さんの澤奈緒さんがめちゃくちゃわかりやすく図解してくれているんですよね。
そしてこの図解を子連れMBA®️のSlackの中で共有したところメンバーからわかりやすい、共感できるって大好評だったんです。^_^
正論で殴るのではなくフェアの形での提案。
公私ともこうありたいなと思います。
正論で殴るから一座建立へ
さらに図解を見て茶道をされている子連れMBAのメンバーが図の右側→がお茶席に似てるってコメントしてくれたんです。
茶道では一座建立。
亭主と客に上も下もなく、お互いの場を共有する。
「同席者全員で心地よい場を作り上げる」
「気持ちの良い一体感を作る」
茶道の精神につながりますね。
なるほどな〜。私も茶道やっていた端くれとしてすごく納得しました。
また子連れMBAの仲間からよい気づきを与えられました。^_^
少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。