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余裕がない!から空間移動する#92

今日は「余裕」について。

私は「余裕」は自分の中でトッププライオリティーに値するキーワードだと思っており、同じように考える母校出身の若手作家の土門蘭さんの放送より。聞き流すだけではもったいない神回だと思っています。

余裕とはキャパだけでなく、、

以前もnoteに「余裕」がなくなると、人はバカになる、と言う記事を書いたのですが、、

「余裕」とは「キャパシティ」と言う観点から、「時間お金体力」の三要素を挙げていました。
これはこれで間違っていないと思うのですが、土門蘭さんの放送を聞いて「余裕」ってキャパ以外からも生み出せるよね、
という大いなる気づきがありました。

1つの価値観に縛られているから苦しい

これは土門蘭さんのご友人の若き哲学者、永井玲衣さんの言葉で「目から鱗がボロボロボロと落ちた」言葉だと言います。

人が余裕をなくすときは1つの価値観に縛られている時だと思うんです。
この仕事で失敗したら、人生が終わるみたいに。でも、ルールがいくつもあれば人生の全てのことに対して、これが全てじゃないし、と余裕が持てると思うんです。

土門蘭さん放送、永井玲衣さんの言葉より

なるほど。近視的に家事や仕事に追われているときは、それが全てと思ってしまって、身動きが取れなくなってしまいます。
また、こうある「べき」というルールに縛られてしまっては余白がなくなってしまう。

放送ではメンバーが仕事に相殺されている時、いきなりボードゲームを始める面白会社が紹介されていましたが、違うルールがふってくると、忙しいはずなのに、突然余裕が生まれた。すごく面白い事例だと思いました。

空間移動と時間移動によって生まれる余裕

一個の価値観や一個のルールに縛られてしまうことで、余裕がなくなってしまう。
1つのヒントとしては、複数の価値観や複数のルールを持つことが余裕を持つ手段ではないかと。

土門蘭さんも締め切りとかに追われていて、めちゃくちゃ忙しい時に、あえてインド映画とかを見る。
するとびっくりするほど価値観が違って、自分の中の地図が広がる。そうすると、風穴が開いて仕事もうまく回りだした、、

時間がなくてもお金がなくても健康に少し不安があっても自分の中で複数の価値観や世界を持つことが余裕を生み出してくれる、そんな大きな気づきが私の中でもありました。

自分を他人だと思ってみる

これも目から鱗だったのですが、
土門蘭さんは余裕がない時は、自分を他人だと思って自分に語りかけるそうです。

自分の部屋が散らかっている時、他人の部屋だと思ってみる。
そうすると「こんな散らかった部屋、気分が悪いでしょ、片付けてあげる」
フリーランスで健康診断もろくに受けない自分に対しては、「健康診断は、健康なうちに受けたほうがいいよ」と自分の中の他人が語りかける。

土門蘭さん放送より

子供が癇癪やわがままを言ってイライラしてしまったとき、30年後の自分に時間移動してみる。
「こんな時期もすぐ過ぎ去るんだし、こんなにお母さんを頼る時期は今だけだよ」と70代の自分が自分に語りかける。

土門蘭さん放送より

時間移動や空間移動をすることで、自分を俯瞰する。時間移動と言えば、小泉今日子さんの名言も思い出されます。

「16歳の私が頑張ったから今の私がある。逆もアリで今、58歳の私が頑張ったら16歳の私も報われるし、70歳の私にも感謝される…今の私が一歩前に出ると、過去の私も未来の私も一歩前に出る。時間はタテだけでなくヨコにも広がっている

小泉今日子さんの言葉

アートの効用

余裕のない現代人の中からすると、アートを楽しむことは時間やお金がある人の特権、とか浮世離れした風流人が楽しむもの、思われてしまいがちですが、
余裕を生み出すための空間移動、時間移動の手段と思えば、忙しい人ほど必要なものだと思いました。

まとめ

余裕は額面通り捉えるとキャパシティ時間、お金、体力、あればあるほど余裕があると思われがちですが、
それがなくても空間移動や時間移動で余裕を生み出すことができる。
そう思うと、すごく勇気にもなるし、大いなる気づきになりました。
文学やアートやいろいろな価値観に触れて、自分の地図を広げ余裕を生み出したい。それは何もお金や時間がある人だけの特権ではないと思います。

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