寛容のパラドックス-アメリカ建国史より-#29
前回は寛容をキーワードにペイ・フォワードについて取り上げてみました。
今回は東京女子大学学長で神学者の森本あんり氏の「不寛容論」という本で知った「寛容のパラドックス」という言葉について。
寛容がどこまでもよくて不寛容なヤツはけしからん!!と言う考えに一考を要するキーワードです。
寛容について考えた過去記事
「不寛容論」森本あんり
ちなみに不寛容論の著者の森本あんり氏は、名前はかわいらしい名前ですが、年配の男性です(^^;)
今回の記事はVoicyの荒木博行さんの解説を参考にしています。
その前に、アメリカ建国史をちょっとおさらい。
アメリカ建国とピューリタン
アメリカ人にとって自分たちの先祖として認められるなかに1620年のメイフラワー号に乗ってアメリカ大陸にやってきたピューリタンと言う存在があります。
ピューリタンとはどういう存在かと言うと、16世紀初頭のヨーロッパで起こった宗教改革に遡ります。
ヨーロッパは宗教改革によってカトリックとプロテスタントに分断されたのですが、イギリスはその中道をいくアングリカン体制を取っていました。
すると宗教的に熱心な人が自分の信仰を徹底的に純化したいと言う願い(→ピュア)が強くなってくる動きが出てくる。
これがピューリタンの由来だと言われています。
しかしピューリタンはイギリス本国では異端だとされ英国教会から迫害を受けていた。
そこで信教の「自由」を求め、当時イギリスが植民支配をしていたアメリカ大陸にやってきたわけです。
、、ここで「不寛容」が生まれる、、、。
ここは我々が作る国だから我々の流儀でやる、
嫌な奴はとっとと出て行ってくれ、とピュアなだけにピュアさを受け入れない者を排除する動きが出てきた。
そしてピューリタンによる他教徒の迫害が行われます。
寛容のパラドックス
寛容のパラドックスとは寛容を強制する不寛容を言います。
ピューリタンはバクテッソやクエーカーといった保守的で不寛容さを打ち出している宗教を迫害した。いわゆる寛容の押し付けを行ったわけです。
不寛容なしに寛容はない
不寛容さを認めない限り寛容はありえない。
自分の中に不寛容な部分があると言うことを認められるからこそ寛容でいられるのではないかという深い考察です。
子連れ世帯と寛容のパラドックス
寛容のパラドックスは権力があったり自由な人ではなく、ピューリタンがかつて迫害されていたように「弱い立場の人」に起こりがちなのではないかなと思いました。
例えば、強者による性被害の問題がよく取り沙汰されますが、被害者である弱者を御輿に担ぎ上げ、相手は強者だから何を言ってもいいというように徹底的に叩きのめすと言う傾向が見られます。
子育て世代も子連れに対しては徹底的に寛容であるべき、という押し付けによる不寛容が生まれないか注意を払わなくてはいけないと思いました。
まとめ
森本あんり氏はアメリカの宗教史から不寛容論を解いたわけですが、今でも寛容のパラドックスと考えられることは身近に存在します。
子連れ世帯が時として忌み嫌われる要因にはこの寛容のパラドックスがあるかもしれない。
「純化」せず、自分の中の不寛容を認めることが多様な人たちと共存するうえで必要なことだと思いました。