ピンチ峠を乗り越える #19

小学生の頃、尼崎から大阪・梅田まで自転車で遊びに行った。地図を見ずに勘を頼りに漕いでいこうと友達とその場の思いつきで合致。初めて淀川を一望した時の感動は今でも覚えている。
そこから大きな淀川を渡り大きな梅田の街を堪能し、日も暮れてきたので帰ろうとすると帰り道が分からなくなった。反対側から見る景色は夜になると顔を変え、目印がわからなくなっていた。半泣き状態でこれまたひたすら自転車を漕いでいるうちに、見覚えのある通りに戻ることができ無事に帰宅。
あれから私の土地勘や地図を見る力はめきめきと鍛えられ、今では初めての場所でも一発で迷わずに向かうことができる。一見ピンチだと思うことが思いがけないチャンスになることは人生で何度も訪れる。


9月の頭に初めてコロナにかかった。うまく逃げ切ってきていたので悔しかった。頭痛、倦怠感、目や喉の痛み、発疹、とてつもない孤独感。実際に経験してみると改めて普通の風邪とはまた少し違う、インフルエンザまではいかないような絶妙にだるい12日間だった。幸いにも仕事がみっちり入っていたわけではなかったが、それでもたくさんの方に迷惑をかけ謝罪をし、締め切りがある日には朦朧とする中データを確認する日々。やはり健康第一なのだと痛感した。

健康は体だけではない。どちからというと心の健康の方が大事なのかもしれない。上京してから1年と少し、音楽の夢を追い続けるうちに心のガス欠が起きていた。気づかないふりをしていた。気づかないふりをしていても体は正直で、休めない私の体力と気力はどんどん落ちていく。頭と心を比例させる難しさ。ダイエット中についついお菓子を食べてしまい「明日からダイエットや!今日死ぬかもしれんし!」と日常的に自分に言い聞かせる私にはそもそも比例させること自体が難題だったように思う。
ついに爆発をしかける一歩手前で罹ったコロナは私に休む大切さを教えてくれた。


強制的に休んだ療養期間中はとにかく人間らしく生きて過ごした。脳がお休み期間に入ってしまったため0から1を生み出すことができない。本を読みたいだけ読み、映画を見たいだけ見て、寝たいだけ寝て、ゲームをしたいだけした。(皮肉にも療養期間中にスプラトゥーン3が発売されてしまった。死ぬほどやった)
気づけばまた紡ぎたい言葉が生まれ、奏でたいメロディが溢れ、すっかり元気を取り戻した私は今日も楽しく音楽を作っている。そして夜に飲むビールやゲームを、人と会える時間を楽しみに生きている。


思い返せば上京するきっかけの一つもコロナだった。大きな峠を越える度人間の足腰はどんどんと強くなる。また峠をのぼる前には必ず休息も必要だ。強くなったこの体で、これからもピンチを楽しく乗り越えていこう。



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佐野仁美 -Hitomi Sano-
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