思い思われて #17
街中がピンクで溢れるこの季節。体がついつい縮こまってしまう季節を抜け、少しずつあたたかくなる気候と相まって気持ちがいい。一輪のカーネーションを持った高校生の男の子を駅のホームで見かけ、嬉しそうに大きなカーネーションの花束を抱えた女性と交差点ですれ違った。今日も誰かが誰かに思い思われ時間が流れている。
一年を通して記念日と呼ばれる日は毎日たくさんあるが、人間というものはどうしても当たり前を当たり前だと思ってしまう生き物だ。十分ではないが一年に一度くらいは感謝の気持ちを伝える日があっていい。コロナ禍でしばらく会えない日が続いた方もいらっしゃるだろう。音楽と同じで、人に想いを伝える時はやっぱり生がいい。だが照れ臭くて疎遠になるくらいなら、電話や文章、手紙だっていい。会いたい時にではなく、会えるうちに。伝えたい時ではなく、伝えられるうちに。
最近では母親になった親戚がいる。初めての子どもの成長は母親としての成長
だ。小さく息をする命を抱かせてもらって改めて命のリレーの素晴らしさに気づく。「お母さんありがとう」と「ママがんばれ」と二つの思いが芽生える日が来るとは夢にも思わなかった。そうやって受け取ったバトンを私も渡す日が来るのだろうか。いつか来るといいな。
花を贈ったりいただいたりする機会が増え、年々花が好きになる。いい香りとともに枯れてしまうその日まで、思わずため息が出てしまうくらいに心を癒してくれる。命は有限だからこそ美しい。結局人は生きているものが好きで、そこから色々な感情の贈り物を受け取っている。
淀川を渡れば大好きな地元に帰ってきたといつもそう思う。今日は母の日。そんな日に帰ってくることができてよかった。お母さん、大きな愛をありがとう。
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