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引っ越しのこと。

私の夫は引っ越しが好きで、一緒になってから20余年で10回以上の引っ越しをしてきた。仕事もあるので、引っ越しはいつも市内だったが、あることが切っ掛けになり、思い切って遠くへ行こうじゃないか、もういいんじゃない?だってほら、わたし達はどこに住んでもいいんだよ、ということになり、県外への引っ越しを決めたのだった。

始まりは「来年には引っ越すから」と、夫が冗談半分で言い始めたことだった。それが徐々に真実味を帯びてきて、何かあった時の最後の砦のような言葉になっていた。

夫が引っ越しを仄めかしはじめて半年くらい経ったころ、思い切って聞いてみた。
 本当に引っ越したいの?冗談ではなくて?
 冗談も半分あるけど、引っ越しをしたい気持ちも半分ある。
と返ってきた。
 じゃあ行こうよ、その方がわたし達らしいよ。
そう返事をして、引っ越しが決まった。

でも、直ぐには無理だという事で、では良い季節に行きましょうと話し合い、一年後の秋に、寒くなる前に引っ越しをしましょうと決めたのだった。

実際に引っ越しができる確立は分からなかったが、考えないことにして、行くと決めたのだから行くことだけを考えた。

荷物の整理をし始めて、冬の間、短期の仕事をして資金も貯めることにした。色々な事があったが、わたし達には引っ越しが待っていた。
 でももう引っ越すから、これを使うのもこの冬限りだね。
 引っ越したら、買い換えよう。
春になったら状況も変わるかもしれない、そんな事を考えながら荷物を減らし、冬を過ごした。

春が来て、予想以上に何の変化もなく淡々と生活をこなし、相変わらず「引っ越し」を合言葉にして夫と向き合った。

でも、無理だった。引っ越しは断念せざるを得ない状況になってしまった。心の拠り所が無くなってしまった夫が心配だった。
 だって今は行けないよね。
と夫が言い、わたしはそれに対してどう返事をしたらいいのか分からず、ただ頷くしかできなかった。

引っ越しは手段でしかなく、目的はその先の生活の中にある。
あとどれくらいこの状況が続くのかは分からない。でも、一度引っ越しを決意した事でさまざまなものが見えてきた。人の考えなんて儚いけれど、いつか行けるといいなぁ。目的の場所へ。
その時には引っ越しと言う手段は、もう使わなくてもいいのかもしれない。

スカートに隠した日々よ行く先でどうか海風やわらかく吹け/大西ひとみ

#短歌