彼女の話
彼女は、4月なのにまだ寒い北の街に生まれた。
母親は齢34。高齢出産での初産だった。
父親は母親よりも10も歳が離れており、まだ若かった。
予定日より早く来た陣痛。
痛みに苦しみながらも、なかなか生まれる様子はない。
主治医は「もうすぐもうすぐ」と励ますが
東北訛りで「まだだぁ」と小声で囁く助産師。
結局、微弱陣痛となり帝王切開での出産となる。
彼女は仮死状態で生まれる。
母親は出ない乳をくわえさせ初乳を与えたが
彼女が吐き出したことから
ミルクでの保育を試みることとなる。
これは転機ではないだろうか?
家庭での保育がはじまり、
彼女の様子がおかしい。
身体中発疹だらけで搔きむしり、
機嫌が悪い。
見かねた両親は、
アトピーを疑い病院へ連れて行ったが
医師から「アトピーなんて決めつけたらいかん」と
助言され、処方された薬を塗り続ける日々。
しかし、顔は赤く腫れ上がり体もただれ
うなだれる日々を過ごした。
アレルギーへの認識も薄かった当時
ミルクのアレルギーを疑ってくれなかったことを
大きくなった彼女は悔しく思った。
両親は歳の差もあってか仲が悪かった。
そもそも価値観が違ったのだ。
喧嘩が絶えず、時には父親がひっくり返した食事で
ふすまが汚れた。
母親のてをねじり上げるのを見て
彼女は悲鳴をあげた。
自らのアレルギーで辛い、
落ち着かない家庭環境に不安。
そんな彼女だったが
心を許せる相手が母方の祖母だった。
祖母はとても心配性だが慈愛に満ちた人で
いつもいつも優しい眼差しで癒してくれる。
彼女は祖母が大好きだった。
彼女がこの世に生を受け2歳を過ぎた頃
両親は離婚を考え、別居していたのだそうだ。
祖母に娘を預け母親は働いたそうだ。
家族の危機ではあったが、彼女は祖母と過ごせる毎日が嬉しくて
仕方なかった。
しかし、祖母宅にも彼女にとって怖いものがあった。
病気で療養している祖父だった。
祖父は裕福な家庭に生まれたが、
知人に騙され、ずっと恨みに思って生きてきた人だった。
貧しくとも8人の大家族が充分暮らしていけるだけの
余裕はあったが、騙されて、母の一家は一瞬にして極貧生活となる。
祖母は働かない夫と5人の子供、姑を抱え
行商までして働いたのだという苦労人だ。
頭のいい人で人格者だった。
その働かない祖父が怖かった。
祖母と団欒していると
よろよろと割って入ってきて
彼女の頭を撫でるのだが
彼女は震えていた。
そして迎えたその春、彼女は祖母と離れることになる。