子どもの頃、両親が不仲だった。 お金がないって物理的にだけじゃなく 心的に余裕がなくなっていく。 相手の意見を受け入れようなんて気はサラサラない。 ただ相手を変えようとあの手この手を使う。 そんなやりとりを子どもの頃から目の当たりにしていた。 お金がないことを変えられる力は子どもの私にはない。 当時の私には考え付かなかった。 いや、新聞配達をするなど方法はあったのかもしれないが やらなかった。 ただ、普通の生活ができるようになりたかった。 国保や年金、水光熱費を当たり前のよ
子どもの頃、絵を描くのが好きだった。 毎日毎日、何枚も何枚もあれこれ想像しながら描き続けた。 絵を描くのが好きだったし、得意だった。 小学校に入ってから、見たものをそのまま描くように言われ 上手く描けないし、絵を描くのが苦痛になった。 しかし、自由に描くのは好きだった。 その時、少女漫画黄金期。漫画を読むことも何よりもの楽しみだった。 本気で漫画家を目指したが、「そんなチャラチャラした職業はダメ」と 親から反対された。 それで諦めたと思っていたが、大人になってから気づく。
閑話休題的エッセー。 ほのぼのしていてとても癒される〜 作者が徹底的に突き詰めて 「モノ」「コト」「ヒト」と向き合い、 自分の「ココロ」と向き合い 自分なりのスタイルを築こうとするところが 見どころの一つです。 情報としては 割とよく「断捨離」の対象にされているものたち。 初心者向けかなと思いましたが 「うんうん、こんなこと私にも覚えがある〜」 と懐かしむような気持ちになりました。 「モノ」「コト」「ヒト」どう線引きするか どう付き合うか、「ココロ」に向き合う姿がとても面白
「ミス」という言葉から連想するもの。 「失敗」「後悔」「なんで私はいつも失敗しちゃうんだろう」 とてもネガティブな言葉や感情がモヤモヤと浮かびます。 私は昔から「何でこんなことでミスるの?」 というミスが比較的多い方でした。 レジ打ちのバイトをしていたとき お金の受け渡しを間違えたり 施設の職員をしていたとき 感情的になって対応してしまったり。 仕事のみならず 不注意で車をぶつけてしまうこと多々。 そんな自分が大嫌いで、自分を全力で責め、 「これからは絶対失敗できない」と追
「0秒思考」の著者である赤羽雄二さん。 オリラジのあっちゃんが 「マッキンゼーだぜ」と連呼していたあの動画を 拝聴しました。 読んでみたいなぁと思っていたところ 「アクションリーディング」が Kindleのキャンペーン対象になっており 半額で購入することができました〜。 あの「マッキンゼーだぜ」の動画以来 メモをする、書き出すことがルーティーンとなっていて 朝晩手帳を開いています。 そう、A4はやってみたのですが、 私はやっぱり手帳が好きだなぁ。。 子育ての忙しさにかまけて
今日は家族で公園まで出かけた。 途中、お昼ご飯にラーメン屋へ。 学生時代よく通った場所。 チャーシューがとても美味しい。 到着したら満席。 名前を書いて外で待つように言われる。 「お庭には入らないようにしてくださいね」 そうなんだ、、、 今考えればちょっと高圧的だなとは 思った。 外で待つ。 待ちのお客さんが他にもやってきた。 住宅を改装して お店にしている一風変わっている。 お庭も手入れされて素敵だ。 もともと別の場所にあったこのお店。 移転してから初めての来店。 今は
うちは自営業。 建設関係である。 繁忙期も今年の売り上げは例年の半分程度。 不安だ。 気持ちが暴走して 先行きが暗い感じがする。 節約しなきゃなぁ、、、 今までちゃんとしておけばよかったなぁ、、、 このまま仕事なくなっちゃったらどうしよう、、、 不安が頭を占拠している状態。 私の親も自営業だった。 家計はいつも火の車。 暗かった家庭の中の匂いや音が 感情を伴って戻ってくる。 お金がなくなるのも怖い。 あの経験をまたするのがたまらなく嫌なのだ。 お金がないという 惨
毎日の一コマ。 何気なく撮っている写真。 思い出を残すことが目的。 映えは諦めている。` 子どもたちが大きくなってきて 自分にも少し余裕ができてきた。 むくむくと 諦めたくない気持ちが出てきた。 子育ては長期戦。 可愛いとこも 可愛くないとこも ひっくるめて 自分と子どもを育ててくれるもの。 長期戦に挑んでいると 短絡的に叶う願いを 満たしまくりたくなる。 スマホ見る、タバコ吸う、買い物へ行く。。。 そして満たしても満たしても 次から次へと渇きを感じる。 子育て
万年筆。 初めて買ったのは ちょうど10年ほど前で、ペリカンだった。 ころんとしてて、ちょっと不恰好なところが愛らしかった。 インクがじゅわっと出て書きにくい、初めて使った時そう感じた。 ボールペンに慣れすぎていて どうしても使いこなせなかった。 しかし、万年筆を使うという なんとも言えない大人な感じ。 昔、母の万年筆に憧れたことを思い出す。 私が使うとインクが出てこなくて ぎゅっと強く書いたり、トントンしてみたりしたら ペン先がぐにゃっと曲がってしまい 「思い出のものなのに
私は雑談が苦手だ。 苦手であっても嫌いというわけじゃない。 どちらかというと人と話すことは好きだし嬉しい。 しかし、ちょっとした話というのが苦手で 避けてしまう。 おかげで、友達は少ない。 なぜ雑談が苦手なのか? 「ちょうどいい話」ができる人を尊敬する。 私は話しかけられると舞い上がってしまい 自分の話ばかりして気が使えない。 「ちょうどいい話」ができる人は その場に応じた対応ができるし 聞き上手だ。そして合わせ上手だなぁって思う。 そんな理想を掲げるものだから 何だかギ
気持ちや頭の整理のために ノートをつけている。 それは、数年前から付けたりつけなかったりだけど 手帳を用意するときは1日1ページのものを 選んでしまう。 ほとんど手をつけず残ってしまった時には、 もったいないことをしてしまったと 自分責めが始まる。 育児日記は長男のとき 挫折した。 つけてるお母さんのエピソード聞くと 後悔と申し訳なさを感じ自分責めが 脳内で繰り広げられる。 私の理想とする人たちは 早起きしたり、日記をつけたり、毎日ブログを書いたり 瞑想したり、読書した
本を読んでいたら胸がチクッとした。 本の内容で、ある人を想起したからだ。 ある人とは、カリスマ的人気の女性起業家の方。 「神経科学」の本を読んでいたのだけれど カリスマの彼女が何年も何年も積み上げて言葉にしたことが その本に書かれていた。 脳神経を研究している人と通じちゃうってすごいなぁ って感じると同時に 自分は何も成し遂げてないとしょげてしまう。 そっか、私カリスマになりたいのか。 彼女のようにできないと自分は価値がないように感じてしまっているんだね。 でもそれって難し
彼女は、4月なのにまだ寒い北の街に生まれた。 母親は齢34。高齢出産での初産だった。 父親は母親よりも10も歳が離れており、まだ若かった。 予定日より早く来た陣痛。 痛みに苦しみながらも、なかなか生まれる様子はない。 主治医は「もうすぐもうすぐ」と励ますが 東北訛りで「まだだぁ」と小声で囁く助産師。 結局、微弱陣痛となり帝王切開での出産となる。 彼女は仮死状態で生まれる。 母親は出ない乳をくわえさせ初乳を与えたが 彼女が吐き出したことから ミルクでの保育を試みることとな
ちょっとご無沙汰しました。 子どもの行動に そわそわしたり、 やきもきしたり、 アップダウンの激しい私。 こと、長男の言動に感情が動かされることが多い。 小さい兄弟に威張ったり、 意地悪したり。。 このまま大人になって大丈夫なのだろうか? ずーっと先の心配をしている。 あるできごとがあって 何でなんだろうと 自分の心の中をノートに書いて 掘っていった。 すると、失敗を怖がっている自分に気がつく。 なんで失敗を怖いと感じるの? と、さらに掘っていくと 状況によって自分
自然食品が欲しくて、わらべ村へ。 ついでに大好きなカフェぷらなでお一人様ランチ。 自粛の影響か、お昼時なのにお客さん2組しかいなかった。。。 いつも満員だったのに。。。 テイクアウト系(マックとかモスとかケンタとか)孤食系はめっちゃ混んでる印象です。 必要以上恐れず、感染の仕組みを学んで実践し、 こんな時だからこそ少しでも力になりたいと思うのです。 ぷらなは玄米菜食ランチです。 味付けもほんわり優しい。 口に含んで味を探すと、いろんな感覚が蘇ってくる感じ。 どれも丁
こちらに行ってきました。 緊急事態宣言が発出される中なので 人では少なめなのかな? 外で遊べるスペースもあって 子供たちは追いかけっこしてました。 昼過ぎでしたが お野菜もたくさん並んでたし こんな可愛らしいパンも❤️ 美味しいものを作ってくださる方々に感謝 お店を開けてくださる方々に感謝 子供たちと楽しい時間が過ごせることに感謝です❤️