恥ずかしい自意識過剰と「阿吽の呼吸」の難しさ
1年前のある日、上司からみんなの前で注意された。
発端は、自分の業務に必要な書籍を図書館に借りに行ったことだ。
自分では、業務に必要な資料探しだから、上司に許可を取らず、行き先ボードに記入して出かけていた。
時間は1〜2時間。
月数回の図書館通いを2ヶ月くらい続けたある日、
突然上司から、事務職員全員の前で「図書館に行く場合は事前に許可を取ってから行くように」と注意を受けた。
その瞬間、怒りが込み上げてきて、こんな考えがよぎった。
「なんで、今更言うの!?」
「そんなルール聞いてないよ!」
「どうして皆の前で言うの?恥かかされた!」
上司に反論する勇気はないので、「わかりました」とだけ伝えた。
けれど、怒りは収まらず、同僚と夫に愚痴った。
舞い上がっていたエゴ
なぜ、みんなの前で注意されたのか。
当時、自分が担当していた業務で何度か褒めていただいた。
あなたのおかげで〇〇が、とても良くなっている
みんなの仕事をフォローしてくれて気が利くね
よくやってくれて助かるよ
内心、『自分はすごい』と思ってしまっていた。
エゴ(自我、自意識)が増大していた。
自分は処理能力が高い。
会社に貢献する業務が出来ている。
あの人は愚痴ばっかりで行動は出来ていない、私の方がちゃんと業務を遂行できている。
だから、業務に必要なら自由に行動していいはずだ。
上司にいちいち確認しなくてもいいはずだ。
そうやって自意識が過剰になっていたからこそ、
全員の前で注意されたのかもしれない。
会社員として会社のルールに合わせないといけないのに。
間違っていたのは自分だった。
勘違いにやっと氣づいた
そもそも、私が担当していた業務がうまく回っていたのは、
会社と社長が積み上げてきたお客様との信頼関係のおかげだった。
会社が積み上げてきた環境の中で、社長が与えてくれた役割をちょっとやっただけで「自分はすごいかも」と勘違いしていた。。
人の褌(ふんどし)で相撲を取っていただけだった。
自分にとっては、かなり恥ずかしくてイタイ体験だった…
イタイ自分を乗り越えて
最近やっと、会社が過去何十年も培ってきた資産を使わせていただいた上で、与えられた業務をやらせていただいていることを冷静に見られるようになった。
イタイ自分を乗り越えて、
「役割を与えられている」という意識で謙虚に取り組んでいこうと思っている。
「阿吽の呼吸」の難しさ
謙虚に取り組んでいく中で大切にしたいのは、
分からないことは聞くこと。
今回の出来事は、知らなかったとは言え、会社のルールを破った自分が悪い。
勝手に行動する前に上司に確認すればよかった。
うちの会社は古き良き「阿吽の呼吸」的な社風が残っている。
昔からいる社員は、会長や社長の顔色を読んで「阿吽の呼吸」で色々と行動しているようだ。
新人の私には無理。
会社のルールは伝えてもらえないと分からないよ…。
会社独自の「阿吽の呼吸」文化って難しい。。
今回みたいに痛い目を見ながら、「阿吽の呼吸」が染み付いていくのかな。