好きに素直に生きる。-私がブランドをやる理由-
初めてのnote。
パリへの買い付けへ行くフライト中、今までのことをたくさん振り返っていると、どんどん自分のことが明らかになっていった。
これは私の心の中だけで止めずきちんと発信したほうがいい、と思ったので
ほとんど勢いで文章を書きました。
私がどんな思いでブランドをやっているのか。
ブランドを通してどんな価値を提供したいのか。
その価値を、なぜ提供したいと思うのか、を書き残そうと思う。
私は、
人が、「好き」に素直になることや、
自分の「好き」を追求することで、
自分の手で人生を楽しくさせることができる
と強く信じてる。
maruo は単に商品を届けているのではなく、商品を通じて
「自分の”好き”を選ぶことが、人生を楽しくする」
という価値を提供したいと思ってる。
「自分の”好き”を選ぶことが人生を楽しくする」
モノで溢れる現代。
”選択すること”がどんどん難しくなってきている。
私たちミレニアル世代は、たくさんある選択肢の中から、自分にとって本当に必要な物だけに囲まれて生きていきたいと思っている。
でも、自分にとって本当に大事なもの、好きだと思えるものって、なかなか見つからない。
どう選んでいいかもわからない。
maruoは、そんな人たちに向け、
「選んだ理由を持つ」ことが
「この先も大事にしていきたいと思える理由になる」
ことを広く伝えていきたい。
maruoをきっかけに、
見てくれた人が「好き」と心から言えるものを見つけるためのヒントになったり、自分の「好き」そのものを見つけてもらうことにつながれば、と思いブランドをやっている。
消費するためのアイテム(流行しているから、みんなが良いと言っているから)を選ぶのではなく、自分自身の判断で、ずっと大切にしたいと思えるアイテムを選べるように。
また、アクセサリーだけでなく、プロダクトの横展開をしていく事業計画を立てていて、様々なアイテムを提案していくことで、大切だと思えるアイテムだけに囲まれた、自分のだけの幸せが詰まった空間を作れるように。
だから、maruoは、
商品を選ぶための判断基準となるように、
商品に”ストーリー”を乗せて販売している。
これはすなわち、「買う理由=大切にできる理由」を提案しているということ。
お気に入りのものだけに囲まれた空間は、人生を豊かにしてくれる。
自分の「好き」を知っている人は、人生を楽しむコツを知っている。
自分の好きなものを明確に言えることは、自分が何に心をときめかせ、どんなときに幸せを感じるか、わかっているということ。
好きと幸せは、つながっている。
私はそう、強く信じている。
maruoを通して、
幸せになるためのファーストステップである、「自分の好きを見出す」きっかけを提供すること。
手にとってくださった方々が、自分の身の回りを好きで埋め尽くせるようになること。
そうすることで、とても簡単に人生を楽しくできる、ということに気づいていただけるように。
私はmaruoを通して、そんな価値を提供していきたい。
なぜ「好き」に素直になること、追求することが大事なのか。そう思うようになったきっかけは何だったのか。
人生はとてもシンプルにできていると思っていて、
例えば、私たちって、大好きな恋人と一緒にいるときって、すごく幸せだ。
それと同じ原理で、自分の好きな「もの」や「こと」で身の回りを作れている人って、すごく幸せだと思う。
自分自身で、その「好き」だけに囲まれている状態を作れている、ということ。自分で作ったその空間は、自動的に自分を幸せにしてくれる。
でも、ほとんどの人が実は、自分の好きをはっきりと言えないんじゃないか、と思う。
かくいう私もそうだった。
生活の中で受け身になりすぎて、「流行だから」「みんなが良いと言っているから」という理由で選んだり。
でも、そうやって選んだものって、実はその人にとって「心に響いたもの」ではない。
本当に好きなものって、「うまく説明できないけどとにかく苦しいほどに好き」という気持ちになる。
脳の中心を司る部分が非言語的だからという理由もあるけど、本当に「これだ!」と直感的に思えるもの、言葉にできないけれど強く感じるものが、あなたにとっての本当にすきなもの。
言葉による理由付けは、後からいくらでもできる。
私の場合、どの年齢の時にもずっと、夢があった。
…正しくは、”夢”を、無理やり作り出していた。
小さい頃から、親に「夢は大きく」「何になりたいか」「どうすればなれるか」など、しつこく聞かれる家庭だった。
当時はそんなに常に何かやりたいことがあるわけでもなくって、なんとなく思いついたものを言っていた。特に深い理由もないけど、深く理由を聞かれるから、日常的に「夢について」考える時間がたっぷりあって、「夢を持つこと」がいたって自然にデフォルトになってた。その当時、私にとっての「夢」は本当にやりたいこと、ではなく、とりあえず言わなきゃいけないもの、という感覚だった。
そんな家庭環境だったこともあって、弟たちは「プロ野球選手」や「タレント」を目指し、文字通り死に物狂いで練習していて、ちゃんと結果もちょっとずつ残していって、本来の意味での夢に向けて、着々と進んでた。
一方私はというと、
彼らのように自分を忘れるほどに打ち込みたい気持ちを持てるものってなく、
部活をしてもレギュラーにもなれないし(だからしょっちゅう部活を変えていた)、勉強をしてもぱっとしない成績だし、何か新しいことを始めてもすぐにやめちゃったり。
好きでもないから心から頑張れなくて、それは親にもばれていて。
「あんたは何に対しても本気になってない。何をしても中途半場に終わらせる。中途半端にしかやらない子にはサポートできない。」
この言葉はかなりきつかった。
人は図星のこと、自分でもわかっていることを言われたときに、とても傷つき、腹が立つものだ。
弟たちへは熱心にサポートして(金銭的にも、感情的にも)いたけど、私にはそういうのは全くなく、それがすごく悔しくて、でも確かに彼らみたいに本気で取り組めるものなんて部活にも勉強にも見出せなくて、親の言っていることがその通りすぎて、「夢っていったいなんなんだ?」ってずっと考えていた。
本気になれるものがない私は、人生ってよくわかんないし楽しくないって、心底思ってた。
自分の好きがわからない私から見ると、本気になれる自分の「好き」を知っている弟たちは、とても幸せそうに見えたし、毎日エネルギーに満ち溢れていて、まぶしかった。
弟たちと自分を比べ、自分の劣等感を強く感じることで、反抗期は普通の人よりかなりひどかった。
親と一緒にいることが嫌すぎて、自分の「好き」や「本気になれるもの」がないことで認められない環境にいること自体が私には息苦しすぎて、
高2の時、一人沖縄の実家から出て、大阪のおばあちゃんの家に住まわせてもらうことになった。
もう、親や兄弟とこれ以上住むのが無理で、あのまま行くと爆発してしまいそうだった。
受験を控えた高校2年の時に転校なんて、自分でもばかだと思う。
でも、この選択は、私にとって一つめの大きな分岐点だったと思う。
ここから、私は変わった。
家族という環境の中で、近すぎる存在の兄弟たちと比べることから解放され、私は人と比べる環境から、過去の私と今の自分を比べる、自身と私と向き合う環境をつくることができた。
転勤族的な家庭だったため、何度も転校を経験してきていろんな場所へいった。
でも、関西以外、何年住んでも好きになれなかった。
神奈川に引っ越した時も、沖縄に引っ越した時も、ずっとずっと最後まで馴染めなくて本当にきつかった。
でも、大阪は違った。
転校初日のことは、たぶん一生忘れないと思う。
初めて会ったのに、みんな「昨日の続き」みたいな感じで話しかけてくれた。
アットホームって、この状況を言うんだな、って思った。
異常なほどに人見知りな私があっという間に打ち解けられて、
久しぶりに「学校が楽しい」と思えるようになった。
たぶん、学校が楽しいって思えたのは、小学生ぶりだと思う。
楽しいと思えた理由はいろいろある。
暖かく迎え入れてもらえたこと、そして同じ空気感を持った人たちと出会えたこと。
中でも私にとって大きな変化となったのが、
「おしゃれ」
と言ってもらえたことだった。
私は今まで、どこへ行っても認められないファッションで、ださいってよく言われたし、当時付き合っていた人には「なんでその組み合わせなの?」「一緒に歩くの恥ずかしいから着替えてきてくれない?」って言われたり。
ファッションって、私にとって苦いものでしかなかった。
転校先の大阪の高校は私服の学校で、どきどきしながら今までの服装で行った。
絶対、ここでも変な目で見られてしまうと思ってた。
なのに、
なぜか、
人生で初めて、私の服装をいろんな人から「おしゃれ」と言ってもらえた。
信じられなかった。
「おしゃれ」って言われることが、こんなに嬉しいのか、ってびっくりした。
私は「かわいい」とか「きれい」とかより、断然「おしゃれ」って言われるのが嬉しい。ずっとコンプレックスだった。
今思えば、大阪で認めてもらえたのは、
大阪の「個性を認める文化」によるものだと思う。
転校先が大阪でなかったら、私はたぶんずっとファッションが苦手なものだったと思うし、ファッションに関することを夢にしてなかったと思う。
私は初めて、自分の服装が好きになれたし、おしゃれってその時も何かまだよくわかんなかったけど、でももっとおしゃれになりたい、って気持ちが増していった。
人よりもセンスがないのは、今まで死ぬほど何回もださいって言われてきたことでわかっているし、私は実家を出ていて自分のお金がまったくなかったから、ネットで稼いだわずかなお金をもとにひたすらに服をリメイクし、そして安いけど高見えする服を探したり、安いけどすごくおしゃれ、っていう服をひたすら探すようになった。
私にとってブランド服って、憧れのまた先の憧れの存在で(ローリーズファームでさえ!)、ブランドの服なんて買うお金なかったから、古着ばっかり。しかも、古着屋さんじゃなくて、リサイクルショップで買う、100円とか200円の服がメイン。
でも、はじめて「おしゃれだ」と言ってもらえたこのコミュニティで、
私は自分の居場所と、自分が本気になれるものに真正面からしがみつきたかった。
必死だった。
1年間、毎日創意工夫を重ねて、受験勉強より服装のことにばっかり気を使って、おかげで案の定大学受験は失敗したけど、でも卒業時の文集では、おしゃれな人ランキングで"1位"になれた。
世の中的には小さな賞かもしれないけど、行きたいかよくわからなかった第一志望校へ行くことより、私にとって「クラスのおしゃれな人ランキングの1位」になれたことの方が、よっぽど、何百倍も嬉しかった。
学生時代、部活でも勉強でも中の下くらいのポジションで、何をやっても特に突出できず成功体験ってずっとなかった。でも、自分が本気で取り組んだことで1位になれて、それはすごく自信になったし、私はこの世界で自分を試したいって思えた。
自分の「好き」がわかってからは、初めて目指すものが明確になって、この人生で初めて、「毎日が楽しい」って思えて、人生が動き出したように感じた。
学校って憂鬱だ、と思ってた感覚は知らぬ間に消えていたし、心底毎日が楽しかった。
その時に思った。
「これだ」って。
その時は言葉でうまく説明できなかったけど、今振り返って明確に思うのは、
あの時、私は自分の「好き」を見つけることができた。
見つけられたことによって、無意識に本気になれて、本気になれることで、人生は自然と楽しくてキラキラしたものになった。
自分の好きを見つけること。
それは、絶対に幸せになれる道に繋がっているんだと気付いた。
これが、私が「好きに素直になる」ことの大事さを知った原体験。
今、人生がつまんないな、って思っている人に、
行動したら人生が変わる!って、一般的にはよく言うけど、でもそんなエネルギー使うこといきなりしなくて全然いい、って私は思ってる。
まずは自分が本気で好きになれるものを見つけるだけで、十分今見ている世界は変わると思う。
焦ることもなくって、
肩の力を抜いて、ふとしたときに、感覚的に「これだ」って思うものに出会える。
無理して探さなくていい。
アンテナを張っておくだけでいい。
出逢う時に、出逢うべくして出逢える。
好きに素直に生きるだけで、自分の手で、自分の人生を楽しくすることができる。
人生は文字通り、自分次第だと思う。
そんなことを、私は自分の人生をかけて伝えていきたい。
そう思ってブランドを立ち上げた。
maruoを通して、あなたの「好き」や、「幸せ」を見つけるきっかけになればいいな、って。
そんなことを強く意識しながら、
私は今日も、アクセサリーを作る。
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