真空中の光速度は変化するのか?~γ線バースト「GRB 221009A」の観測
γ線バーストなどの高エネルギーな天文現象を観測する「LHAASO (大型高高度空気シャワー観測所)」を利用した観測と研究を行っている国際研究チームは、2022年に観測された観測史上最も明るいγ線バースト「GRB 221009A」から届いたγ線の分析結果を論文にて公表した。
結論としては、GRB 221009Aからの光に波長ごとの到達時間のズレは見つからなかったということだった。これにより、ローレンツ不変性の破れは、少なくともこれまでの5~7倍も高エネルギーでないと起こらないことが明らかにされた。
「ローレンツ不変性」とは、一般相対性理論によれば、「真空中の光速度」はどの速度で移動している観測者にとっても変わらないという性質のことで、現代物理学の屋台骨の1つ。しかし、一般相対性理論と量子力学を統合した「量子重力理論」の構築においては、ローレンツ不変性が破れる (成立しない) 可能性が指摘されている。γ線バースト場合、真空中を進む光は、波長 (エネルギー) によってわずかに速度が異なるため、波長ごとに同じ距離を進む時間が変わるはずだ。RB 221009Aの観測結果は、γ線バースト程度のエネルギーではローレンツ不変性が破れることはないことを意味する。
真空中の光速度は、単に最速のモノというわけではなく、時空の本質的な性質であると認識されている。大雑把に言えば、真空中の光速度は秒針やものさしのように時空を測るための尺度であり、 (情報伝達を伴う形では) 何物も真空中を光速度を越えて移動することができない制限速度である、という特別な性質を持つ理由でもある。真空中の光速度が尺度の性質を持つことから、日常生活の上では直感に反する性質が現れる。例えば100km/hで移動する車を止まった状態で見るのと、100km/hの車で並走しながら見るのとでは、その車の速度は100km/hにも0km/hにも見えるだろう。
ところが、真空中の光速度の場合、止まっていようと走っていようと、光の速さの99.99%で移動していても、その光は相変わらず真空中の光速度で移動するように見えるのだ。観測者の速度に関係なく光速度は光速度であるという性質は「光速度の不変性」と呼ばれており、この原理に基づき (ローレンツ変換と呼ばれる数学的手法で) 時空を記述することを「ローレンツ不変性」と呼ぶ。
ところで、先ほどからしつこいくらいに “真空中” の光速度と呼んでいますが、これは真空以外の場においては、光の速さは変化しうることと関連している。例えば、真空中の光速度と比較して、空気中では99.97%、水中では75%、ダイヤモンドでは41%まで速度が低下する。しかも、これはある波長 (黄色の光) においての値であり、光の波長が異なると速度の低下率も変化する。その結果、水やガラスなどを通った光は波長ごとに異なる経路を辿るように分散され、虹色が発生する。真空以外では光の速度が低下するだけでなく、波長ごとに性質も変化するため、但し書きとしての “真空中” が必要になるのだ。裏を返せば、真空中においては光の速さは波長の影響を受けないことになる。色によって波長が異なる可視光線を始めとして、波長の長い電波から波長の短いγ線に至るまで、その速度は299792458m/sで固定されているはずだ。真空中の光速度は波長の影響を受けないというローレンツ不変性は、数多くの実験や観測においても成立しているように見える。
ただし、一般相対性理論では屋台骨であるローレンツ不変性だが、拡張理論においてはそうではないかもしれない。今のところ、一般相対性理論と量子力学は、お互いにもう片方の領域をうまく記述することができないため、多くの物理学者は両者を統合した「量子重力理論」の構築を試みている。量子重力理論という用語は、特定の1つの理論の名称というよりは、一般相対性理論と量子力学に変わると推定される様々な候補の仮説に当てられる名称であり、どの仮説が正しいのか、そもそも完成しうる理論なのか、どの物理学者もまだ答えにたどり着いていない。提唱されている量子重力理論の仮説のいくつかは、ローレンツ不変性は成立しないと予言する。つまり、いくつかの量子重力理論においては、観測者によって真空中の光速度は変化するものであると仮定している。もし、ローレンツ不変性が破れている場合、光の波長ごとの速度は、たとえ真空中であっても変化することになる。つまり、同時に放出された光であっても、その波長ごとに同じ距離を異なる時間で進むことになる。しかし、これまでの数々の実験や観測で、ローレンツ不変性はかなり強固に保たれていることが分かっている。仮に、ローレンツ不変性が破れているとした場合、それはかなり高いエネルギーを持つ光であるγ線でないと観測ができないだろう。ローレンツ不変性が破れる可能性のあるほど高いエネルギーのγ線を、しかも複数の波長で到達時間の差を取るというのは、地球の実験室ではできない実験となるが、自然界ならば実験室を提供してくれることがある。
非常に重い恒星が、その寿命の最期に大量のγ線を放ちながら消滅する「γ線バースト」は、数十億光年という非常に遠方で発生する天文現象だ。γ線バーストで放たれる光は十分に高エネルギーであり、かつ複数の波長に分かれている。そして、もしもローレンツ不変性が破れている場合、数十億光年という距離により、光の到達時間の差が測れるはずだ。
中華人民共和国の稲城 (四川省、甘孜県) に設置された「LHAASO」は、高エネルギーな天文現象を観測する装置。γ線や宇宙線のような高エネルギーな粒子と地球大気が反応して生じる空気シャワーを捉えることで、間接的に宇宙で発生した天文現象を観測。観測装置は標高4000m以上に設置されており、地上よりも大気が薄い分だけ観測感度が向上する。LHAASOの観測データを分析・研究を行っている国際研究チームLHAASOコラボレーションは、2022年に観測されたγ線バースト「GRB 221009A」の観測データを分析した。GRB 221009Aは観測史上最も明るいγ線バーストであり、地球に対する距離の近さや向きが理由であると考えられている。今回の研究では、GRB 221009Aから放たれたγ線を波長ごとに分析し、到達時間に差がないかどうかを調べた。もっとも、γ線バーストのγ線を観測し、ローレンツ不変性が破れていないかどうかを検証するのは今回が初めてではない。むしろ、GRB 221009Aと地球との距離は24億光年と、他のγ線バーストと比べて近い位置にあるため、光の到達時間の差が小さくなってしまう。一見すると、ローレンツ不変性の破れの検証には向いていないようにも見えるが、それでもGRB 221009Aが分析対象となったのは、高強度のγ線が多数捉えられたためだ。
200GeVから7TeV (2000億電子ボルトから7兆電子ボルト) のエネルギーを持つ光子が6万4000個も検出されたのは異例であり、この多数のデータのおかげで、これまでの同様の研究と比べ、観測値の不確かさが小さくなる。今回の観測データの分析では、残念ながらローレンツ不変性が破れている証拠を見つけることはできなかった。今回の研究結果から、仮にローレンツ不変性が破れるとすれば、それは690EeV (6垓9000京電子ボルト) か100ReV (10穣電子ボルト) のどちらかであると考えられる。大きく異なる2つの値に分かれるのは、計算の仕方によって2通りの解釈があるためだ。それぞれの推定値は、これまでの研究より5倍から7倍も改善された下限値。今回の研究では、十分な分析を行うために、γ線バーストのピーク時ではなく、ピークを過ぎた後の残光を分析している。研究チームは、もしγ線バーストのピークである、今回よりも高エネルギーなγ線を分析できれば、ローレンツ不変性が破れるか否かについて、さらに深く分析できると予測している。
一般相対性理論など少しでも知っていると「光速度は一定」と我々素人は思い込んでいる。γ線バーストという大きなエネルギーが付加された今回の分析でも光速度の差は観測できなかった。光速度を観測するということ自体、想像を超える実験だが、理論的にローレンツ不変性が破れる可能性があるかもしれないとアインシュタインが知れば、研究に没頭したに違いない。
一般相対性理論が発表されたのが1916年。約110年が経った。この間、様々な理論や検証が行われ、観測機械の開発・発展もあった。それまでの当たり前が覆るかもしれないのも科学の面白い点だと思う。ローレンツ不変性が破られるとすれば、一般相対性理論を包括する新しい理論ができるということを意味する。過去を否定するのではなく、一つの特別な場合として、より一般的な理論として拡大していくのが科学の発展。ローレンツ不変性が破られる結果が得られたとき、どのような新しい理論が完成するのか楽しみに待ちたい。