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清泉女学院中学高等学校のAI倫理会議実行委員会主催の「AI倫理会議」が今年も3月9日に実施された。今年で7回目になるこの会議では、清泉を含めた6校46名の学生がグループごとに倫理憲章を作成したそうである。毎回、有識者の講演があるのもこの会議の目玉であるが、今年は河野太郎デジタル大臣が講演されたそうである。どのような内容であったかは参加した学生しか知れないのが残念である。

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「AI倫理」とは、AIの開発や利用において倫理的な価値を守るための指針や原則である。AIを活用する際に人を傷つけたり、社会に悪影響を与えたりしないよう、AIの開発・利用時に意識すべき善悪の基準を意味する。AI倫理を考える際に想定すべき主なリスクには、「プライバシーの侵害」「公平性の欠如」「不透明性」「責任の所在の不明確さ」の4つがある。これらは人にも当てはまることであり、AIも人と関わる以上、人への影響は我々と変わらないということである。AI倫理の背景としては、AIの急速な発展と普及、社会的影響力の増大、AIの倫理的課題がある。AI倫理に関する国際的な取り組みが進められており、それらの尊重と遵守が求められているのが現状である。

人間には、親近性バイアスや確証バイアスなどのさまざまな認知バイアスがあり、その固有のバイアスが我々の行動、さらにはデータに現れる。AIはこうした人間のバイアスを前例のない速さで増幅させ、拡張させる可能性があり、データはあらゆる機械学習アルゴリズムの基盤となるため、このバイアスを念頭に置いて実証試験やアルゴリズムを構築することが大切である。IBMやMicrosoftなどの世界的企業もAI倫理について各社のスタンスを公表しているほど、AIを扱う上では不可欠なことなのである。

日本政府もAI利用に際して、2019年3月に「人間中心のAI社会原則」を発表している。そこには守るべき7つの原則が盛り込まれている。「人間中心の原則」「 教育・リテラシーの原則」「プライバシー確保の原則」「セキュリティ確保の原則」「公正競争確保の原則」「公平性・説明責任・透明性(FAT)の原則」「イノベーションの原則」の7つである。この原則をもとに、日本でもAI倫理に取り組む企業が増えており、富士通や野村総合研究所などはAI倫理ガイドラインを策定し、ガイドラインをもとに開発やAIに関する活動を行っている。

スマホやPCの世界にもAIが深く入り込み、生成AI以外でも何かと我々の生活に影響を与えるようになってきているが、AI倫理が完全に遂行されているかというと残念ながらできていないのが現状である。

具体的なものとしては、ネット広告が分かりやすいだろう。ユーザーの閲覧情報や検索情報を解析し、そのユーザーの好みと思われる広告が自動的に流れてくる。これ自体は便利な機能だとは思うのだが、必ずしも適切なものばかりではないのが問題である。

「何をもって選定された情報なのか」がよく分からない、まるでスパムのようなものが含まれていても、システム提供側は説明することはなく「不透明」なのである。ネット広告くらいで何を騒ぐことがあるのかと思う人も多いかもしれないが、すでに事件にまで発展している事例がある。
ネットを利用した投資詐欺である。

SNSで投資勧誘や投資セミナーの広告が流れてくると、著名人が関係しているかのようなものも多くある。著名な実業家になりすました投資広告が流れてきて、被害者は加害者とチャットなどで投資の手解きを受け、実際に入金をしてしまうが、途中でおかしいと思い警察に通報して発覚した事件が起こっている。利用された実業家は、この事件を含め、無断で顔写真や名前を利用されている広告の削除をSNSの運営会社に要望したが、無断利用の広告は削除されず残っていたそうである。何度も削除要望を出すと、無断利用の広告は流れてこなくなったそうだが、本人の広告も流れなくなり、これにより広告内容の事業収入が1/10まで激減したそうである。

「なぜこのようなことが起こったのか」を運営会社に問いただすと「弊社のAIが適切に処理をした」という内容の返答だけが届き、詳細の説明はなかったのだという。誰が見ても責任逃れのようにも思える。「責任の所在の不明確さ」「不透明性」とAI倫理を考える上での想定されるリスクそのものである。AI倫理を遂行する企業も増えてきているが、完全でないことがこの例でも明らかである。

科学技術は人の生活を豊かにするものだと僕は思っている。その為に膨大な時間と資金を使って開発している世界中の科学者から見れば、せっかくの技術を適切に利用されない社会は絶望そのものである。

どんなに技術が進歩しようとも常に人が中心にいることを忘れてはならない。情報倫理は高校の授業でも教えるが、これからの時代に不可欠なAIを利用する立場の若者には、AI倫理も身につけさせるべきではないだろうか。清泉が主催する「AI倫理会議」はまさに学生にAI倫理を考えさせる場である。この場に登壇した河野太郎デジタル大臣の目に参加者はどのように映ったのだろうか。

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