君は美しい(第十一夜)
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(誰なの?)
ネスティに親しげに話しかけたその女は、体は成熟しているが明らかに若そうだった。まだ10代かもしれない。
信じられないくらいスタイルが良く、目がクリッとして大きい。
どうがんばっても、例え整形したってあんな風にはなれないだろう。人種が違うのだ。
私の視線に気付いたのは、ネスティだった。
「ノリコ」
こちらに顔を向けて微笑む。
「紹介するよ、エリザベスだ。エリ、彼女はノリコ」
その子が、この場にそぐわない外国人の私に、軽く会釈する。
私は何も言えなかった。
彼女は気にすることなく、最後にもう一度ネスティにハグをすると去っていった。
友達だろうか、ファンだろうか。
会話の内容が少しもわからないのが、本当にじれったい。かといって彼に尋ねる勇気もない。
さっきまでの高ぶった気持ちが一気にしぼんでしまった。
ネスティが周りのミュージシャンたちと談笑しているのを、ぼんやりと眺める。
こうやって目の前のことから意識を引いてしまえば、私は透明人間だった。
誰の言っていることもわからず、誰も私に話しかけない。ネスティがいなければ、本当に何者でもなかった。
彼がいるから、私はこの国での存在が認められるのだ。
ひと通り全員と話し終わって、ネスティはやっとこちらを向いた。
「行こうか、ノリコ」
立ち上がって出口を指す。
「うん」
彼がそのまま、あの女の子やほかのミュージシャンとどこかへ行ってしまったらどうしよう、と考えていたので、呼ばれて心底ホッとした。
出口を抜けたあたりで再び手をつなぐ。
「今日のライブ、気に入ってくれた?」
ネスティはご機嫌でニコニコしている。私も努めて明るく答えた。
「うん、すっごく良かった!今まで見たライブで一番興奮したわ」
「ほんと?」
満面の笑みが眩しい。いつも通りのネスティであることに安心する。
「これから、どこへ行くの?」
「ん~…実は、すごくいい気分だから、ノリコとお酒が飲みたい」
「いいわよ、行きましょう」
「いいの?」
彼がこちらをうかがうように見たので、何を言いたいかがわかった。
「大丈夫。私、お金持ってるから。二人でライブのお祝いしましょ」
ネスティはまだライブの高揚感を引きずっているのか、いつもよりはしゃいでいる。この楽しい気分をもっと続けたい。
「ありがとう」
彼は私の申し出をすんなり受け入れ、チュッとキスをくれた。あの女の子にはしなかった、唇に。
嬉しくて、彼の腕に巻きついた。
やっぱり、さっきの子はただの友達だったのだ。スキンシップが激しくて思わず動揺してしまったけれど、彼が恋人扱いするのは私だけ。
ネスティが連れて行ってくれたのは、入口からは奥が見えない、薄暗い店だった。
入るとすぐ左にバーカウンターがあり、間隔をあけてテーブルがいくつか置いてある。
暗いのは電気がついてないからで、目が慣れてくると中はふつうのバーだった。先客もちらほらいるが、外国人はひとりもいない。
ネスティと私は一番奥のテーブルに進み、壁に背を向けて横並びに座った。
私たちからは店全体が見渡せるが、向こうからは視界に入りにくい場所だ。
カウンターの中から店員が出てきて、紙1枚だけのメニューをくれた。
ざっと見たが、そんなに高いお酒はなさそうでちょっと安心する。
ネスティはメニューを見ずに何か頼み、私に目を向けてきた。
急いでメニューを見てみたけれど、モヒートはなさそうだ。というか、カクテルがないのかもしれない。
「キューバリブレ、できる?」
ネスティに聞くと、そのまま店員に伝えてくれた。店員は私の顔を見てうなずき、カウンターに戻っていく。
すぐにラムをコーラで割っただけの、ライムも入っていないキューバリブレが出てきた。
飲んだ瞬間、
(強い)
と感じる。
コカコーラのないこの国では、国産のコーラを作っている。
それがそもそも薄いのだ。
さらにラムを入れすぎていて、ほとんどお酒の味しかしない。
空きっ腹にこれでは、簡単に酔っ払ってしまいそう。
横を見ると、ネスティはショットグラスに入ったラムのストレートを、一気に飲み干したあとだった。
(仕事したあとだもんね)
日本の男の子がこんな飲み方をしていたら心配してしまうが、彼なら大丈夫だろう。
「もっと飲んだら?」
「いいの?」
「聞かないで。お祝いって言ったでしょ」
ネスティはにっこり微笑み、店員にグラスを上げておかわりを注文した。
彼のたくましい二の腕が、触れそうな距離にあってドキドキする。
(も…もう酔ってるのかな)
どぎまぎしながらストローで吸い込んだキューバリブレがきつくて、思わずむせてしまった。
「大丈夫?」
そう言って心配そうに私の背中をさすってくれる。その動きで、汗と香水が混ざった濃厚な匂いがふわっと漂い、ますます酔ってしまいそう。
次に店員が持ってきたのは、ロックグラスになみなみ入ったラムだった。
ネスティはこともなげにぐいっとあおり、3分の1ほどを飲み干す。
(す、すごい)
水みたいに飲むな…と驚いて見ていると、視線に気づいた彼もじっと目を合わせてきた。
心なしか、その目がとろんと酔いはじめているように見える。
背中にあった手が私の肩を抱き、ぐっと引き寄せた。
「ノリコ。君と出会えて、僕は本当に幸せだ」
前髪に息がかかる。
(私も…)
そう言いたかったけれど、丸見えの店内で、こんなにくっついていることに気が気じゃない。
さっと視線を走らせたが、店員含め誰も私たちのことなど見ていなかった。
たぶん暗くてよく見えないのだろう。
(よかった)
ネスティがまたラムをあおり、グラスの残りが3分の1になる。
「ノリコ」
呼ばれて顔を上げると、さっきよりもうるんだ視線に見つめられていた。
「君は、ほんとうにきれいだね」
それは、私の理性を溶かす呪文のようだ。
その言葉のためだったら、恥もプライドも捨てられる。
(かもしれない…)
ネスティは左手で肩を抱き、右手で膝の上に置いた私の手を握りこんで、そっと唇を寄せてきた。
拒むことなどできない。
触れた瞬間、きついアルコールの香りが一気につき抜けた。
それでも、彼の舌にからみついたラムを吸う。
ネスティはいったん体を離すと、グラスを持ち上げ、残りのラムを一気に飲み干した。
そのまま再び唇を重ねる。
彼の温度になったラムが、私の口を通ってのどに流れていく。
あんなにきついと感じていたお酒が、するりと入ってしまった。
ネスティは、まるで自分の口内でお酒を味わうかのように、私の口の中を舐めまわしていく。
息ができなくなって思わず顔を離すと、ふたりの間に透明な糸が伸びた。
ネスティも息を弾ませながら、野生動物のような瞳で私をとらえている。
(もう逃げられない)
あきらめと興奮が混ざった、なんとも言えない気持ち。
いつのまにかネスティの右手が私の手を離れ、スカートからのぞく太ももをゆっくりと撫でていた。
「今日はなんでこんなセクシーな服を着てきたの?」
怒ったようなかすれ声。
「君は悪い子だね」
逃げ場のなくなった私は、なすすべもなく彼を見つめた。
※第十二夜につづく
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