君は美しい(第十四夜)
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「クレジットカードがないの。あなた、知らない?」
私の質問に、ネスティは一瞬沈黙した。
疑っている気持ちはたぶん伝わっただろう。
しかし、もう引くことはできなかった。
今まで目をそらしていたものが、とうとう現れたのだ。
ここを通らなければ、先には進めない気がした。
「カードが、なくなったの?」
顔を上げたネスティの瞳は、いつもと変わらなかった。
そらすことなく、まっすぐに見つめてくる。
「そうなの…」
「探そう」
そう言うと、ベッドの向こうに回り込み、落ちていたジーンズを履く。
「ノリコも、探して。テーブルの下とか」
「う、うん…」
言われて、一応目をこらしてみる。
(あるわけない)
クレジットカードが、それだけサイフから抜け出すなんて、考えにくかった。
ネスティは窓際を見ているようだ。
そんな場所には近づいていないのに。
「あった」
彼の声に、おどろいて視線を向ける。
「これじゃない?」
ネスティの手には、銀色のカードが握られている。
近づいて見ると、確かに私の名前が書いてあった。
「私の…」
「よかった」
(よかった)
本当に。
顔を上げた私の口元には、押さえきれない笑みが浮かんでいた。
「ありがとう」
本当に、うれしくて、心からお礼を言った。
ありがとう。
返してくれて。
「見つかってよかった」
ネスティが微笑む。
(ほら、やっぱり)
彼は、私が本当に困ることはしないのだ。
ちゃんと言えば、こうやって返してくれる。
口元からこぼれ落ちそうになる笑いを、必死に我慢した。
(ネスティは、私を失いたくないんだ)
気持ちとは逆に、つとめて深刻そうな表情を作って、聞いてみる。
「ねえ、私のこと、愛してる?」
彼は私を安心させるように、優しく微笑んだ。
「もちろん。愛してるよ、ノリコ」
これは本心からの言葉。やっとわかった。
彼は本当に愛している。
私を、私の日本というブランドを、そして私の持っているお金の力を。
すべて含めて、失いたくないのだ。
だからカードを返してくれた。黙っていることだってできたのに。
(うれしい)
今までの不安が、ゆっくりと溶けて流れていく。
(彼は、私を失えない)
その事実に対する確信が、よろこびとなって全身を満たすのを感じた。
「私も、あなたを愛してるわ」
ネスティの腰に手を回し、厚い胸板におでこをくっつける。
彼は期待通りに、そのたくましい腕で私をぎゅうっと抱きしめてくれた。
「僕も。君がいないと、生きられないんだ」
「うれしい…」
(まだよ)
まだ足りない。
もっと、私を必要として。私がいないと、本当に生きられなくなって。
「ネスティ。私、あなたに言わなければいけないことがあるの」
「なに?」
「もうすぐ日本に帰らなくちゃいけないの…」
「いつ?」
「…あさって。ううん、もう、明日かな」
「……」
さあ、気づいて。
私にとってあなたが必要なように、あなたにとっても私がどうしようもなく必要だということに。
顔を上げて、真上からのぞき込む彼の目を見つめる。
少し眉根を寄せた、悲しげなその表情。
そう、これが見たかった。
「私、日本に帰るの。あなたといられるのは、あと1日だけ…」
できるだけ、つらそうに目を伏せる。
そうだ。私は帰らなければいけない。
彼との関係を、続けるために。
ネスティは、さっきよりも力をこめて私を抱きしめた。
「今日…妹の誕生日なんだ」
「え?」
「昼に家族でパーティをするから、一度帰らなくちゃいけない。でも、夜に会おう。そして、朝まで一緒にいよう」
「そうなんだ…」
「僕もノリコとずっと一緒にいたい。でも、妹との約束なんだ」
「妹さん、何歳なの?」
「10歳になったよ」
心の中でそっとため息をつく。仕方がない。
10歳の女の子と、彼を取り合う気にはなれなかった。
「じゃあ、行きましょうか」
外はかなり明るくなっている。
ホテルまでの帰り道、私たちはほとんど何も話さなかった。
ただ、胸にさまざまな思いがやってきては、遠くに流れていく。
ホテルの前で、ネスティはいつもより長くハグをして、いつもよりも念入りなキスをくれた。
「おやすみノリコ、いい夢を」
「ありがとう。今日、何時に会える?」
「そうだね、午後6時…いや、5時に来るよ。必ず来るから、待ってて」
「わかった」
部屋に戻ると、体は疲れきっているのに、不思議なエネルギーが満ちてくるを感じた。
自分が必要としている相手に、同じように必要とされることが、こんなにも力を与えてくれるなんて。
今までに感じたことのない充実感。
最高に幸せな気分のままベッドに倒れこみ、一瞬で眠りに落ちた。
※第十五夜につづく
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