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写真を読むことへの考察、そこにいったん留まって超個人的な手紙を紐解く

わたしの住むアントワープには、フォトミュージアムと言って、写真に特化したエキシビションを開催する美術館がある。わたしはファッションという業界で働く上で、写真という媒体はわりと身近である。ランウェイ写真とかオンラインストア用の撮影、広告撮影とか、ファッション業界は写真なしでは成立しないのだ。

*本文、美術館フェチ写真シロウトの戯れ言ですので写真に詳しい方、ご容赦を。

アートの見方って人それぞれだし、もちろん決まりきった“見方”なんてないと思うのだけど、写真の見方でずっと印象に残ってるのが、何かの本に書いてあったこの一文。
『写真はカメラマンからの手紙だと思って読むように見る。』
この言葉がずーっと引っかかっている。

ペインティングやドローイングなどのアート作品と違って、写真作品は決定的にその瞬間が存在した証を残している。
よく言われる、その「切り取られた一瞬」の中に、ファンタジーとか生々しさとか、偶然が生んだ産物とかが実際にそこに存在していたのだ。

今回のアントワープのフォトミュージアムは日本人の写真家、須田一成(すだいっせい) さんのエキシビションだった。
昭和40年代から2019年になくなられるまで、精力的に活動を続けた日本を代表する写真家で、My Japan と銘打った今回の展示は白黒の作品に絞られたキュレーションだった。
彼のほとんどの写真作品は日本の日常生活の風景であるのに、そこに独特の不穏さや緊張感が漂っているのが印象的だった。そして特徴的だったのが、作品に光沢のある現像用紙が使用されていた事。
用紙独特のテカテカ感が、そこにある世界観にフィルターを重ねたかのようにより一層、妖艶さを助長させていた。昭和のノスタルジックな空気と白黒のコントラストとテカテカフィルターは、風景に、人々に、無機物にさえ、これでもかというほどのエロさを与えていたのだった。

(添付画像では現像用紙の光沢までは表現出来なくて残念。。。)

https://fomu.be/en/exhibitions/issei-suda

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ありきたりで、どこにでも転がっているものを拾い集めるということは、私の写真行為そのものだ。
須田一成


一方、ファッションフォトグラフは、モデルが居て、“魅せる服”があって、、、と、いくつかのルールがある。
ファッション雑誌ヴォーグイタリアの今はなき元編集長、フランカソッツァーニ(Franca Sozzani) はファッションフォトでも革新的な挑戦を続けたひとりだった。
彼女の手掛けたヴォーグイタリア誌では、たくさんのセンセーショナルな記事を刷新し続けた。

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2010年、メキシコ湾への石油流出が問題になった年に発売されたヴォーグイタリア誌のストーリー (Photo by Steven Meisel)

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2005年、整形手術の増加に対してのメッセージ (Photo by Steven Meisel)

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2008年、黒人モデルのみで構成されたヴォーグイタリア誌 All black issue

通常ファッション誌は、ブランドから衣装を無料で提供してもらい、ブランド側も雑誌に載ることで広告効果を得る。だからいかに服が良く写るかが大前提なのだけど、フランカソッツァーニはそんなのまったくお構いなし。メッセージを伝えるためなら、肝心の服が油まみれになろうが、度肝を抜くようなスタイリングに使おうが、関係ないのだった。

ファッション誌がメッセージを発信して何が悪い。フランカは、ヴォーグにジャーナリズムを持ち込んだ。モデルの存在が摂食障害や整形手術を助長したり、ファッション業界が環境汚染の一端を担っているのは明らかであるから、その責任の一端を負うべきでもある。
この一連のムーヴメントはまさに発信しているカメラマンと雑誌社から読者への手紙なのである。。。


時事、風刺ネタはわかりやすいメッセージだから、手紙として受け取る側も、読み、感じとるのにある程度前もった情報などのガイドラインがある。
ただ、須田一成さんのような写真スタイルにも、この手紙の要素があるような気がしていてる。
切り取られた日常風景のなかの光や影の微妙な具合だとか、被写体の角度だとか、その写真家さんの、その日の体調とか気分とか。
今日は猫を撮ってみたかったんだよ、なぜなら昨日猫の夢を見たからさ、とか、
そういう超個人的な手紙を勝手に想像して、
確実に存在したその時間に
いったん留まってみるのもいいなぁと思った、
夏至の前日、短い夜の考えごと。

僕は、写真から自分を感じて欲しいと思っています。写真としての風景だけでなく、「こんな人が撮影した」ということを伝えたいんです。「こいつはこういうものを写して、こういうものを伝えたいから、こういう表現になるんだな」と感じて欲しいんです。
須田一成





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