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母親への考察、わたしの大事なお母さんへ

毎週日曜日に父親に欠かさずかけるFaceTime
ベルギーで暮らすわたしと、日本で暮らす両親の大事な架け橋である。
例を漏れず日本人メンタリティ的に、わたしの家族は、No news is good news
便りがないのは良い知らせ、という古い伝統を受け継ぐ純日本風の家族だったのだけど、(もちろん家族内コミュニケーションは一概に言えるものじゃないけれど)
定期的にお互いの生存確認と近況報告はしようよっていう新しい伝統を取り入れたことは、パンデミックの唯一のプラスの遺産であると思う。

今日もいつもの時間に電話。
あれ?出ないな??
なんかあったかな??
15分後くらいに、折り返しかかってきた。
どうしたの?って聞いたら、大河ドラマがいいところだったから無視しちゃったって言われた。
あ、、、そーっすか。

ここ10か月くらい、わたしのプライベートはまるでサーフィンのようだ。
大波にのまれてボードを見失い、身体中波と、さらにはボードにヒットされて激痛。
しかもカレント(離岸流)に流されて安全な浜に戻れなくなっちゃった日が何ヶ月も続いた後に、ようやく沖に出られて穏やかな波待ちの日々が待っていた。
で、ちょうどいい感じの乗れそうな波が来て、それにうまいこと乗れちゃったりするとちょっと実力を勘違いしたりもする。
そんな平穏も長続きしなくて、大波はまたドカンとやってきて、避けられない波にぶつかってまたズタボロになる。

仕事だけが唯一のよりどころでも、その居場所で十分なパフォーマンスが出来ない自分にも悲しくなった。
便りがないのは良い知らせなんてくそくらえだと思った。だから父親にはそんな自分の状況を出来るだけ隠さずに話すようにしていた。
この歳になって独り身の娘が、しかも海外にいようものなら、両親は気が気じゃないだろうとも思う。
実のところ、わたしの母は8年くらい前に脳溢血で倒れて以来、半身麻痺にかかり集中力も続かない。当たり前に出来ていたたくさんの日常の動作が出来なくなったお母さんは、これまで一度も自分の置かれた状況に対して、弱音や文句を言ったことがないと、いつだったか父親が教えてくれた。
わたしは誰かに一番好きな料理は何?って聞かれたら、絶対にお母さんの手料理と答えるのだけど、それはもう二度と食べられるものじゃない唯一のものだからという想いからきている。
ちょっとひねくれているかもしれないけど、他と比べる事ができなくなった時、本当に大事なものに気がつく。

大河がいいところだったから無視されたあとの折り返し電話で、わたしは父親に自分が抱える不安を吐き出した。
大河を見終えたら母親はいつもだったら寝る時間なのだけど、お母さんは続かない集中力と眠気を一生懸命こらえて、車椅子にちょこんと座り、お父さんの隣でわたしの話を一時間以上聞いてくれていた。
そして、そっと優しく「いい勉強しているじゃない」って言ってくれた。

ずっとわかってたけど、お母さんは、彼女自身が置かれた状況がどんなであっても、ずっとわたしのお母さんなのだ。
そんなお母さんの前で、涙をこらえるのはもはや無意味だった。
余計な心配かけたくないって思っても、お母さんはいつだってわたしのお母さんとしてそこに居るんだから。

傷の分だけ皮膚が厚くなっていくように、
波に打たれて流された日々が
のちに年輪のように刻まれていくんだろう。
自分が経験していることが、
家族が経験していることが、
全て意味を成して、
自分自身と、周りの人々をより深く理解出来るように。

いつだって、
どれだけ遠くにいたって、
お母さんからもらう勇気と、
お父さんがくれる処方箋は、
わたしの一番の特効薬だ。


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