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字を描くことへの考察、自分のオリジンを訪ねて


スマートフォン一台で日常生活の用事はほぼほぼ事足りる現状。(どうでもいいけどわたしはスマートフォンのことをスマホと言うのが小っ恥ずかい) そんななかだれもが、字を書くという機会を失っている。漢字約2500字知っていれば新聞が不自由なく読める、読書好きは3500字くらいは知っているとか言われているけど、予測変換に頼りっぱなしの現代人には、読めるのと書けるのとはまた別のはなしでもある。
わたしもヨーロッパに住んで13年、知っているはずの日本語の単語が思い出せなくてルー大柴(ジェネレーションばれる)みたいになることが多々あるし、日本語を書くということをすっかりしなくなっていた。

去年の10月、沸き上がってくる感情を整理したくてノートを買った。その日から、1日も欠くことなくジャーナル(日記のようなもの)を書いている。ページを見返してみると、文字は、その日のわたしを表していた。
筆圧強めな日、カスカスな日、なぐり書きのような日、かろうじてみみずが左上から右下に這っている日、おろしたてのペンでめちゃくちゃ丁寧に書いている日。。。
嬉しい気分なのにそこに集中してない感丸出しなアーティスティック文字になっている日もあれば、かなしい日だからこそ美しい文字を書こうと努力している日もある。
同じ感情の日は1日ともなくて、文字はその日のわたしのシェイプを忠実にそこに残していた。
スマートフォンにメモを残していただけだったらもう一度出会えなかったわたしの本当の足跡たち。

年末年始、13年ぶりに日本で過ごした。
亡くなったおじいちゃんが、書道が大好きだったということをふと思い出して、今年は書き初めをしようと決めていた。大人の書道セットなるものをオーダーし、なんならついでに写経セットも追加購入した。10年以上も昔家族と行った京都のお寺さんでの写経体験が最初で最後だったなぁと思い出した。
毎朝起きて、バナナを食べたらまず書道。
ひとつひとつの文字に想いを込めて揮毫(きごう、筆をふるう)する。
むむむこれは、、、、、。
知っているはずの文字が、全く違うものに見えた。もともと象形文字から派生した漢字は作り自体がとてもポエティックで、ひと文字ひと文字がデザイン的にとても優れていた。
今まで、文字をデザインとしてちゃんと認識してこなかったな。。。そう思うと、印鑑は日本人だれもが持ち得る、たった二、三文字程度で構成されたミニマルな芸術作品である。

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しゃかんかん
落ち着きなさい、慌てず焦らず、ゆっくりと。
Be calm

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ベルギーに戻ってきてから、半紙使うの勿体なくて。新聞紙はツルツルしていて、はらいがおもいっきり良く出来る。

ここ数ヶ月間、字を描くことで、わたしはもう一度あの日の自分に会いにいくことが出来ると気づいたし、文字そのものが秘めたストーリーを探る冒険の楽しさを知った。
字を描く人たちだけがもらえる特別切符で、自分だけのタイムトラベル。


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