見出し画像

お隣さんがいなくなるということ。


夕方になると台所の電気がついて、
夕食のメニューがわかるほどのいい匂いが漂って…
お風呂に入る音まで聞こえてくる。

どのテレビ番組を見てるか、
ご近所の誰がお茶飲みに来てるかまでわかる。


美味しいものやたくさん作り過ぎたものは、
「たべるかね〜」と、ホカホカのお裾分け…


お隣さんとお隣さんがくっついた街並み…


いわゆる、木密地域に生まれ育って…縁があって引っ越したところも木密地域。


ずっと、ずっと、お隣さんがいるのが当たり前だと思っていたのに…


そうではない現実を受け入れる時がきました。

お隣さんからのご挨拶


ご夫婦で長年「地域の床屋さん」を営んでこられましたが…

3-4年前に、お母さんが脳疾患を患って思うように身体が動かなくなりました。

お父さんは、今年の3月まで床屋さんを続けながら、お母さんの介護をされていましたが、床屋さんをやめてから、めっきり姿が見えなくなりました。


おふたりで「暮らし続けることの限界」を、ご本人はもちろん、周囲の私たちも感じるほどだった夏が過ぎ、秋を迎えていました。


今日も電気がついているかな?
ご飯は召し上がっているかな?
お洗濯は?

お隣さんからの明かりや音、匂いを頼りに心配が続きました。


ようやく、
おふたりで入ることができる施設が、隣町の上越市で見つかったそうです。

お父さんとお母さんのことを思うと、
「よかった…」と思う反面、とても複雑な気持ちです。


「お隣さんがいない」という、初めて経験する空虚感。


「お隣さんの家が真っ暗」という寂しさ。


「どうして、上越市まで行かなきゃいけないのかな?」という虚しさ。


お母さんの笑顔と「よこやまさ〜ん」と呼んでくれる優しい声。

お父さんのキリッと伸びた背筋。

「よく降るね〜」と言いながら、励まし合ってた冬の除雪も一緒にできなくなりました。


春、ツバメさんが来たら、どう思うかな?


「住み慣れた地域に暮らし続けることの大切さと難しさ」が「家から離れても、せめて糸魚川に…という叶わなかった寂しさ」となって、私の前に立ちはだかっています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?