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AI時代における「人間の条件」を探る(読書会の振り返り)


2035年。AIはさらに日常生活に深く浸透し、その影響は想像以上に広がるとされています。そんな未来を見据え、探究パートナーのまさ、そしてコーチ仲間のすずまりと一緒に『2035年の人間の条件』という本を読み、その内容を対話しました。

この本は、暦本純一さんと落合陽一さんが共著したもので、AIの進化が進む中での人間の役割や生き方について鋭い洞察を投げかけています。
私たちは、この本をきっかけに「AIによって私たちの生き方や働き方、そして文化や習慣がどう変わっていくのか」という問いを中心に据え、対話を重ねました。

今日はその対話を振り返り、特に心に残ったいくつかの視点をnoteに綴りたいと思います。


「必要とされない」時代の生き方

読書会で最初に私たちが向き合ったテーマは、AI時代における「人間の必要性」についてでした。
これまで、私たちは仕事や社会の役割を通して「必要とされること」に存在意義を見出してきました。しかし、AIが多くの業務を代行するようになる時代では、その「必要とされること」の意味自体が揺らいでいくのではないか、という予感が広がっています。

暦本さんと落合さんも、「人間が必要とされない社会」の到来について言及しています。近代資本主義社会では「必要とされること」が私たちのアイデンティティを支えてきましたが、AIがその役割を代わりに担う未来では、私たちは新しい形の存在意義を模索する必要があるかもしれません。

暦本:そうか、(必要性は)近代資本主義社会の概念なのかもしれないね。封建社会ではすべてが生まれたときからフィックスされているので「必要」という概念はなかったけど、近代的な市民社会になったときに初めて、「自分はAもできるしBもできるけど、どうすべきか」「Bをするためには何が必要なのか」などと考えるようになった。

同時に、「必要とされない」という状況は、私たちにこれまでにはない自由をもたらす可能性も感じました。
これまでの生き方が義務感や責任感に基づいていたとすれば、AI時代には「本当にやりたいこと」を探すことが求められるかもしれません。

「遊び」と「純粋意欲」

もうひとつ、私たちが深く掘り下げたのは「人間らしさの再定義」です。AIが生活の多くを自動化する未来において、私たちは何をもって「人間らしさ」を感じるのだろう?

その「必要」という概念そのものが壊れるんじゃないでしょうか。われわれは「生き残るために自分に何が必要か」と考えがちですが、とくに何も必要とされないだろうと思うんです。たとえばプロの絵描きになろうと思ったら、いまは絵を描く才能が必要とされますよね。でもそれをAIがやるようになると、そもそもその人が絵を描く「必要」があるのかどうかもよくわからないじゃないですか。
だから、考えるべきは「自分に何が必要か」ではなく、どちらかというと「自分は何がやりたいのか」だと思います。

この問いに対して、私たちの対話でたどり着いたのは「純粋意欲」という概念でした。榎本さんの著書から引用したこの言葉は、「やらねばならない」ことではなく、「やりたい」という純粋な欲求に基づく行動を指しています。
AIがあらゆるものを代行してくれる時代、私たちは「遊び」や「創造」など、純粋な欲求に基づいた活動こそが新しい人間らしさを形作るのではないかという視点が浮かびました。

私たちはまた「一人遊び」の重要性についても語り合いました。孤独な時間の中で生まれる純粋な意欲に基づいた行動が、自己の輪郭を形作るのではないか。。

AIが進化しても、こうした「遊び」や「探究」が、私たちにとっての「人間らしさ」を再発見する鍵になるのではないかという気づきがありました。

(純粋意欲というキーワードは、CTI JAPAN創設者榎本さんの著書から引用しています)


AIがもたらす倫理の揺らぎ

AIの進化とともに、私たちの倫理観や価値観は変わり続けるでしょう。たとえば、亡くなった人のデータを使ってアバターが再現され、その人と会話ができるようになったとき、私たちはその技術をどのように受け止めるのか?

暦本さんは、テクノロジーが「死者との別れ」という、これまで人間が大切にしてきた伝統的な営みを揺るがす可能性に警鐘を鳴らしています。

死者とは別れさせる習慣を社会がつくってきたのに、テクノロジーがそれをさせてなくなっちゃうかもしれない。


例えば、亡くなった人との対話が「癒し」として機能する一方で、その人との別れを経験するという、人間の根本的な営みが失われる可能性もあります。テクノロジーがもたらすこうした倫理的な課題に、私たちはどう向き合うべきか――その問いが投げかけられています。

また、デジタル技術の進化により、死生観や倫理観そのものが揺らぎ、リアルな体験が少なくなり、バーチャルな体験が増える中で、私たちはどうやって「生きる実感」を持ち続けていくのだろうか。

AI時代のコーチング

コーチとしての立場から見ても、AI時代におけるコーチングの役割は大きく変わる可能性があります。本書では、AIの進化によって、人間が「自分とは何か」という問いを考える必要が薄れるかもしれないという指摘がありました。

私たちはこの指摘に対し、「自己探求の終焉」という解釈ができるのか、それともAIとの共存の中で新たな自己理解が生まれるのか、という問いを立ててみました。

AIが私たちの選択を代行する未来において、コーチングが果たすべき役割は、これまでのような「自分は何者か?」という探求の場から、「遊び」や「純粋な意欲」を引き出すための場所へと変わっていくのかもしれない。そんな仮説も湧いてきました。

さいごに

この読書会を通じて、私たちは「問い続けること」の重要性を改めて実感しました。

AIが進化し、私たちの役割や存在が変わりつつある今、「人間らしさとは何か」「豊かさとは何か」という問いに、はっきりとした答えは見つかりません。それでも、その問いを抱き続けること自体が、これからの時代を生きるための大切な指針になるのではないかと思うのです。

※この文章は、読書会の議事録をもとに、Chatgptに編集してもらって作成したものです。



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