おすすめしたい、7つのセルフジャーナリング手法
5年前に山川咲さんが書かれていたこのnoteが個人的にとても好きだ。
子供が起きる前の、贅沢な朝のひとり時間。
大好きな香りのお香をたいて、大好きな音楽をつけて、カフェラテをお供に本を読んでいたら、全然関係ない文脈でこのnoteのことを思い出し、久しぶりに読み返した。
特に余白期間を設けてからは、セルフジャーナリングにたくさん支えられ、救われてきた。
仕事や子育てで忙しくしていると、その外部環境に意識がとられ、それだけで時間や心がいっぱいになる。
でも、余白期間を設けると否が応でも、空白ができる。
そしてその空白は、とても静かだ。
その静けさの中だと、自分の感情のゆらぎにも、身体的な変化にも気づく。
そして、自分の好きな自分とも嫌いな自分ともそのまま丸ごと出会うことになる。
自分のあらゆる感情や、そこで気づく自分の矛盾も葛藤も、創造性や探究心の源であることに気づきながらも、とても”孤独”な時間にもなる。
意図的にその時間をとっているといえど、孤独は嫌なもので、すぐにそこから回避しようとしてしまう。
それを支えてくれたのが、セルフジャーナリングだ。
この余白帰還中、私のセルフジャーナリングは7つの種類にまで広がった。
今も活用しているこの7つを少しだけ今日は紹介してみたい。
1. 自己内省
(「自己内省」というネーミングは、自分のためにつけており正しくないかもしれない)
これは広く知られているやり方だと思う。
自分自身と対話をしながら、思考を深めたり、感情を整理したりするのに最適なやり方だ。
このやり方のポイントは、「自分自身との対話」を言葉にしていくこと。
自分の内側にあるものを書いてみると、自分自身に対してツッコミを入れられるようになったり、すこしメタ認知できるようになったりする。
書きながらでてくる "もう一人の自分" が出してくる新たな視点と対話を重ねながら、問いや考えが熟していく。
書きながら思考が整理されるので、「私はこの時、こう考えていたんだ」と後から振り返ることもできる。
(多くの場合、日記と呼ばれるのもこれに分類されるのだろうか?)
2. モーニング・ノート
余白期間を設けたタイミングに、アーティストとしても活動している友人(宏佑さん)からこの本を勧められた。
ここに書かれていた「モーニング・ページ」というセルフジャーナリングも個人的にはとっても気に入っていて継続している。(宏佑さんありがとう。)
「自己内省」は、思考や感情を整理しながら行うのに対して、「モーニング・ノート」は自分の内側にあるものを全てデトックスして空にするような作業だ。
一定の時間を設定し、その時間内で、自分の中に湧いてくるものを全て書き出す(吐き出す)。
人に見せる必要はないし、自分も読み返すこともしないので、論理が破綻していても良い。
ただ、湧いてくるものを全て出し切る。それは感情に限らず、その時目に入った空の色のことでも、ふと呼び起こされた過去の記憶でも良い。
それはまるで、自分の内側のキャンバスを白く戻すような作業だ。
モーニング・ノートをした後は、0リセットされたような感覚になり、本が集中して読めたり、瞑想も深く入れたり、好奇心が純粋に湧いてきたりする。
モーニング・ノートは、朝やることを勧められているが、私の場合は朝だけに限らず、自分の中にあるものを全て出し切りたい・デトックスしたいという衝動がわいた時はこの手法で書き出している。
3. 時間の使い方と向き合う
これはほぼ毎日やっている。
時間の使い方と向き合うことは「今日という日を、どう生きるか」と向き合うことそのものだ。
これを意図的にセルフジャーナリングに組み込んでいるのは、自分の弱さを知っているからだとおもう。
この時間を設けないと、自分以外のあらゆるものに自分の時間が占領されてしまい、本当に時間を割きたいと感じていることに集中できていない状況に簡単に陥る。
やらないといけない(とおもっている・おもわされている)こと
誰かからの誘い
ちょっと面白そうなイベントの情報や動画コンテンツ(誘惑)
そういえば・・・という思い出し
ちょっとしたきっかけで自分が探究したいことや時間を使いたいことから、遠ざかる行動を自ら選んでしまうことがある。
(そしてそれをしている最中は、あたかもそれが大事であるように感じてしまったりするから恐ろしい)
朝、自分の思考がクリアな時に「今日という日をどういう日にしたいのか?」を問う。そしてピン留めするように、今日はこういう日にしたいという意思が生まれる。
すると、誰かに振り回されてスケジュールを埋めるのでもなく、何かの誘惑に流されるのでもなく、「自分自身がどう生きるか?」に自覚的になれる。
これは「自分自身が喜びに生きること」に立ち戻り続けるためのある種の儀式のようなものかもしれない。
4. お手紙
セルフジャーナリングの多くは、「自分自身のため」であるが、あえて自分の内側にあるものを誰かに送るつもりで書いてみるというのが、この「お手紙」という手法だ。
この「お手紙」は、送ることもあれば、送らないこともある。
これは、自分の中で留めていた文章をあえて誰かに送るつもりで書いてみる小さな実験だ。
相手に何を期待しているのか、何を理解してもらいたいとおもっているのか、
相手と分かち合いたいことがあるのか、
相手がいることを想定すると、書く時どんな感情が湧いてくるのか?
相手がいることを想定すると、何をオブラートにつつみたくなるのか?何を強調したくなるのか?
この実験のプロセスを通じて、より自分自身の理解が深まる。
「"コーチングは誰のためのもの?"コーチング業界の功績と課題を考えてみた」というnoteも、この実験の延長で書かれていたものだ。
5. セッション振り返り
これは「コーチングの受け方のすすめ」というnoteにも書いたが、コーチングやセラピーのセッションの後は、必ず振り返りを簡単にしている。
セッションでの気づきは生もので、覚えていないことが多い。(体は記憶している)
セッション振り返りは、2行程度のメモのこともあれば、すごく長く書くこともあるが、その時感じたこと、気づいたこと、覚えておきたいことをあえて言葉にする。
セッション中に味わった、言葉にしきれなかった複雑な感情や身体感覚を言葉に落とし込んでみるとまた新しい発見があったりするから面白い、と毎回思う。
このセッション振り返りは、「今の自分はこんな今を味わっていたよ」と未来の自分に送るような感覚になることもある。見返すと、自分の微細な成長や変化をいつも気づかせてくれる。
6. “本”との対話探究
本を読んでいると、本を通じて、対話が進む。
自分の体験を重ねて思い出し、メタ認知できたり、癒やせたりすることもあれば、
あれとあれは、こう繋がるんじゃないか?とひらめきが生まれたり、
でもこれってこういうことなんじゃないか?と批判的な気持ちが生まれたり、
この内容はいつかあの人に伝えてあげたいな、と言葉を送りたい人を思い出したり・・・
そういう対話が進む本を読む際は、
響いたページの写真を撮って、そこで考えたことを音声入力でNotionに入力したりしながら読む。
脱線して別の本を手に取りたくなったりもすることも許して、本との対話を楽しむことを優先する。
音声入力でNotionにかくので、誤字などは多いが、写真があるので後から振り返ることもでき、探究が進みやすくて気に入っている。
本は読んだタイミングで感じることが変わるが、その軌跡が残るのも個人的にはいいなと思っているポイントだ。
7. リサーチ探究
最後が、「リサーチ探究」だ。
自分が気になるテーマについてリサーチをし、それについて自分がどう感じるか?どう考えるかを書き出すセルフジャーナリング手法だ。
内省をしたり、セッションなどで内面の探究をすると、必ず外に目が向くときが出てくる。
実際どうなんだろう?とリサーチデータから数値をみてみたり
今はどういう取り組みがされているんだろう?と事例を調べてみたり
近しい課題意識を持っているチームや個人はいるのだろうか?と調べたり
自分の内側だけの言葉に留まることは、自分の世界に閉じすぎてしまい、自分のバイアスを強めたり、抽象的な世界観の中に生きることにも繋がる。
実際の数字や事例を直視して見ると、自分の内側で想像していた世界観とのギャップが必ず生まれ、現実を直視することができる。
現実を直視した上で、改めて、自分の内側に戻っていく。
なぜ私はこのテーマについて知りたいと感じたんだろう?
このテーマに呼ばれているのはどういった体験からだろう?
自分の内側で感じていたことと数字のギャップがある際は、そのギャップはなぜ生まれているのだろう?
と。自分の内側で全て解決・解消することだけを目指さずに、外に目を向け、現実を直視し、自分自身の言葉に戻ってくると、より「自分以外(他者や社会)」と良い関係性を育める気がしている。
セルフジャーナリングは、
自分自身の内側に気づくプロセスでもあり、
自分の内側をまっさらに戻す行為でもあり、
今この瞬間を、「どう生きるか?」と問うことでもあり、
誰か大切な人への想いを綴ることでもあり、
未来の自分に言葉を残すことでもあり、
「自分」と「自分以外 (他者や社会)」とが出会いなおす接続点でもある。
セルフジャーナリングはとても奥深くて面白いと振り返って改めて感じる。
セルフジャーナリングのやり方について、おすすめのやり方があればぜひ教えてください。
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