横浜の多様性
横浜関連のマガジンさんから記事をまとめて頂いていますのでそれを含めて追記と言う形で記事に致します。
なおこちらがマガジンにして下さった方のnoteです。
私はかれこれ約50年近く横浜で日常生活を送っています。
以下の私の過去の投稿も参考にされて下さい。
その中でも横浜の風俗街や繁華街には昔から性別移行者、最近ではトランスジェンダーと言う言葉もありますが、私は繁華街などで働くいわゆる「ニューハーフ」の方々や生得的な女性の方がアルコール提供などに従事して日常生活を送る横浜の旧赤線地帯の真金町で生まれ育ちました。
私が生まれたのが昭和40年代ですからアパートではなく玄関が共用の長屋なんですね。だから私の様な幼児が知らぬ間に隣の方の部屋に入り込むなんてザラでしたから。
この様な所では「化粧品の匂い」までも隣の部屋まで匂ってきたり、今の真金町界隈の横浜橋商店街にお店にもあるような韓国朝鮮の方なども住んでいてごく当たり前の様に「隣近所の助け合い」もあった訳です。
幼い頃からその様な環境でしたし当たり前の様に風俗などに従事するお姉さん方にも大変よく可愛がられていました。
話は変わり、横浜は開港の時に外国人が通訳の為に中国の方を連れて来た事からその中国の方が横浜に住み着いて「横浜中華街」が発展してきた街でもあって「ごく当たり前の様に隣人にも外国の方もいる」多文化の街と言えるでしょう。
本当の「ハマっ子」の意識は「多文化も受け入れた多様性ダイバシティの街」の意識は沢山あるんですね。
話を性別移行者に戻して夜のお店に出ていたニューハーフさんたちも歳を取ってお金が無くなると寿町の簡易宿泊所に寝泊まりするお姉さん方もいらっしゃった様です。
詳しい論議はここでは避けますが横浜と性別移行者とは切り離せなくて以前では伝説的な「白塗りの娼婦のメリーさん」に交じって非合法的な売春をしていた性別移行者、いわゆる「男娼」さんも多く存在しています。
私も何度もメリーさんを見かけています。
メリーさんだけではなくこの様な昔に娼婦をしていた方の中でも性別移行者さんは昔は日本人の男娼が多かったのですが警察の摘発が何度もあって今は外国人男娼が道端でお客を待って立っている様です。いわゆる「立ちんぼ」なのですが、その様な人たちも身体を壊したり懐が寒くなると寿町の簡易宿泊所に行くようです。
私が現状来ていただいている方の中に「寿町で性別移行者の入浴介助をした経験」を持つ方にも色々と話は聞いております。
産まれが何せ「横浜の旧赤線地帯」ですので本当なら私も夜のお店を経験していないとこんな事は書けないのですが、その様な環境を知っている亡き両親を説得するのに夜のお店には勤めずに説得した事で性別移行をして今の「LGBTブーム?」に乗ってはいませんが「正確に性別移行の情報を映像化する」と言う意志のもとで活動致しました。
横浜の旧赤線地帯は故桂歌丸師匠が産まれた街でもありますし、その近くのクリニックに通院していますが、そこには夜のお店のニューハーフのお姉さん方も通院してくる場所です。
またこの近くの婦人科にもニューハーフさんも来るクリニックはあって私も通院しております。
私は今は磯子区に移っていますが横浜の総鎮守のお三の宮さんの氏子でもあります。まあ性別移行して「家系の恥」と言われて亡き母の一族からは縁を切られていますので。
で時たまその辺をスマホやデジタル一眼レフなどで記録してますので気になったらお声を掛けて下されば幸いです。