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ぱりんこ

ちいさな丸いお煎餅を食べるとき、いつも思い出す上司がいる。

その人は、ザ・小役人みたいな人だ。自分が参加できない飲み会があると、翌朝かならず参加者に電話をかけてくる。「おお、昨日飲んだんだって。どうだった?」からはじまり、どんな話が出たのかや、何時まで飲んだのか、だれが最後までいたのかなどを、小一時間かけて事細かに聞いてくる。聞くだけ聞いて、満足すると、最後は(まあ、全然興味はないけどね)みたいな感じで電話を切る。

もちろん、偉い人や、出世しそうな社員には絶対に逆らわない。「OOさんががそう言ってた」というのが口癖で、何度も話し合って一緒に決めたことでも、気まぐれな上司の一声で意見を180度変えてしまう。

そんな彼は、影で「ぱりんこ」と呼ばれていた。このあだ名は、彼が記者クラブでキャップをしていた頃に付けられたものらしい。

記者クラブでは、部下のためにキャップがお菓子を用意するのが暗黙の了解になっている。日々ストレスの多い記者たちにとって、唯一の癒やしともいえるおやつ選びは、キャップの大事な仕事の一つ。ここでのセンスと気前の良さは、部下からの信頼に少なくない影響を与えるのだ。

定石は、クッキーやチョコなどの甘い系と、おせんべいなどのしょっぱい系をそれぞれ2種類ずつ。でも、その人は、「ぱりんこ」ばかりを買ってきた。ぱりんこは、小さくて、沢山入っていて、安い。ぱりんこという言葉の響きの、なんとも言えない小物感が、本人のキャラクターと一致していた。

しかも、部下が特ダネをとったときや、大変な仕事を終えたときに「おつかれさん」と言いながら、ぱりんこ1個を手渡すのである。

彼の「小さい」エピソードは数知れず。腹が立つことも多いけど、嫌いだという人は一人もいなかった。憎めなくて、笑っちゃう。なんだかんだ皆んなから好かれている。そんな人なのだ。

記者を辞めると決めたとき、その人に退職を知らせるメールを送った。

「相手の懐に入るのが得意で、バリバリ取材し、良い原稿を沢山書いてくれた高井が社を去るのは正直寂しく、残念です…」

「今後は「就職支援サービスの会社で働く」と聞きました。取材する中で、そういう分野に関心を抱くようになったのかな?新天地でのご活躍を、心から祈念しています」と背中を押してくれた。

退職が近づいたころ、私の原稿をその人がチェックしてくれることになった。たいした内容の記事でもなかったのに、「最後の原稿だな」と意気込んで、「確認したいことがあるから」とデスク席に呼ばれた。

デスク席につくと、「おお」といつも通りの高い声で挨拶してくる。案の定、原稿の確認はほとんどされず、なぜ転職するの?いつから考えてたの?など、聞いてくるのは転職のことばかり。原稿を理由にせずに直接呼び出せばいいのに、と呆れながらも、興味を持っていろいろと話を聞いてくれるのが嬉しかった。

話しもひと段落し、そろそろ自席に戻ろうと腰を浮かせると、彼はおもむろに引き出しを開けて、そこからプリッツのファミリーパックを取り出した。ファミリーパックの中の小袋を1つ、私に差し出す。「これ、餞別ってわけじゃないけど。まあ、頑張れよ」

餞別の品がプリッツかよ、と心の中で思わず突っ込む。それと同時に、いつまでも部下に小さなお菓子をあげ続ける人でいてほしい、と思う。

もらった小袋のプリッツは、すぐに食べる気にはならなくて、カバンの奥にそっとしまった。


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