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大切な女の子が彼氏に殴られていたら

ちょっと重くなりそうな話でごめん、恋愛関係において認知が歪むことが怖くて、歪な形で存在する愛について少しだけ書きたいと思う。

まず、わたしの話から。
わたしはタイトルみたいに、男の人と付き合って、殴られたり、身体的な暴力を受けたことはない。
モラハラや浮気とかはされたことあるけど、暴力を振るう人には出会ったことがない。
それが、当たり前だと思っていたのだけれど、結構そうじゃないことが21年生きてきてわかってきた。

でも私も異常な人っていうか、私に対して加害欲求を持ってるひとと付き合ったことがあって、それを今冷静に思い返すと、「おかしい」ことが沢山あった。

まず、その人と初めて会った時、帰り道、急に肩を掴まれて道側に押され、無理やりキスをされそうになった。
私は反射的にぎゅっと目を瞑った。それは完全に恐怖と嫌悪感からくる自己防衛だった。

でもその人はそれを、「受け入れた」と思ったらしかった。

その時は「ダメじゃん〜」と笑われたんだけど、「受け入れてくれるんだね」って言われた。
今思い返すと、気持ち悪くて涙が出てきそうだ。

私がその瞬間に、「体を捻って拒む」という行為をできなかっただけで、彼はそれを「私が喜んで受け入れた」、と思い込んだのだ。
私はそれを否定できなかった。
それは、その人が私に役を与えてくれるひとだったからだし、年上だったからだ。

そのあと、その人とは付き合うことになった。
何故ならその人が本当に私のことを好きだったからだ。
「気持ち悪い」と感じたことを忘れ、「愛してくれる人」と執着した。
面白いと思わなかったその人の作品も、面白いと嘘をついた。
私はなにも知らない18歳で、その人は25か26歳だった。

その人のことを好きだったことはない、と今ならわかる。
でも、その時は、その人が全部お金を出してくれたし、好きだとか可愛いとか言ってくれることに快感を覚え、それが恋だと私は錯覚していた。

付き合い始めてから少しして、その人からの人格否定が増えた。

「なにもできないよね」
「なんでそんなこともわからないの?」
「本当に思いやりがないよね」
「僕の方が優れている」

そうやって否定されるようになった。
私もそれまでは「なんでもしてくれる彼」にあぐらをかいて調子に乗っていたんだと思う、そしてその人はそれをよく思わなかったのだ。
だんだんと拒否できなくなって、明らかに判断能力が落ちていた。

余談だが、別れた後に見たドキュメンタリー、「after me too」という作品で、"グレーセックス"というパートがあった。(いま日本で見れる場所はないかもしれない、気になった人は探してみてほしい)
詳しい内容は書けないが、ここで証言している女性たちと、私はおなじことを受けていたのだと思った。
同意の上でも、自分の心や身体が傷つく行為を、受け入れていないのに強要されることは、私にとってはレイプだった。
だから、耐えられなかったのだ。

極め付けは、私が身内に不幸があり、不安定になっていた時だった。

「同情とかメンケアとか無理だから」

そう言われた。
岩で殴られたみたいだった。
泣いても泣いても、自分がどこにいるのかわからなかった。
それで、その人とはもう二度と会わなかった。

でも、その後もその人はいろんな方法で私に接触しようとした。
明らかに執着で、その人は私への加害欲求があった。

愛は一定程度を超えると憎しみになる、と寺山修司が言っていたが、その人は明らかに認知の歪みが起きていた。
なんなら「私に傷付けられた」と思っている被害者意識のもとで行動している。
それはいまもだ。

どうして、その人は私をいまだに追いかけているのか。
私を傷付けて、私は別れた後ハッキリと「もう関わらないで」と私がその人に感じている嫌悪感を伝え、拒否をしたのに、彼は多分私に関わろうとすることをやめられないだろう。

どうして。

私にはわからない。

そして、タイトルの話に戻る。
「彼女のことを殴る彼氏」、もっともっと理解できない。

でも、普通にいる。
私がここ1年で仲良くなった、私が大切にしたいと思う女の子が、みんな彼氏に殴られたことがあると言ってた。 

絶句だ。

こんなに優しくて、魅力的で、美しい彼女を、殴るという行為で支配しようとしていた男が少なくとも、彼女たちのそばにはいた。

全員その男とは別れたけど、「彼のことは好きだった」ってみんな言っていた。

それは本当なんだと思う。
わたしや他人には理解できない、感じ得ない感情が二人の間にはあって、愛しさや恋しさを私が判断できるものではない。

寺山がいうように、愛が憎しみに変わるのだとしたら、私や彼女が彼らから受けた感情も、「愛ゆえに」ということになってしまう。

愛は憎しみに変わって、その憎しみが私たちに加害行為になって降ってきているのだとしたら。

それが正当化されるようではないか。

どう思ったって、気持ち悪い。
そうやって人に自分の感情をぶつけられることが。
その歪みに気が付かないことが。

愛したことが本当だとして、それが許されるとは誰も言っていない。
傷付けられた私たちは、傷付けられる前の私たちには戻れず、愛したことや受けた傷をずっとずっと胸にいれて生きていかなければならない。
そんなことをしておいて、当たり前に生きている彼ら。
また、誰かを傷つけるかもしれないのに。

私や、彼女たちは、
許さなくていい、
傷付けられたと思っていい、
そう感じたことを忘れなくていい、

私も、一緒に、あなたを傷付けたひとのことを許さない。

お前は傷付けたことを一生、私たちに恨まれて死んでいくんだよ
綺麗に生きられるわけがない。

自分が、間違っていることを、いつか絶対に後悔して、同じくらい傷ついてくれることを願っている。

どうしたって正解はないし、彼らが同じように傷ついたって、私たちの傷が癒えるわけじゃない。
でも、お前如きのために、私たちは生きているわけでもない。

だから、そうやってこのまま生きる。
それが正解はわからなくても。

そして、私はそうやって生きた女の子を守る。
抱きしめる。
美しいあなたを私は絶対に踏みにじらない。

いまも傷つき続けている子がいたら、あなたは間違ってないし、今すぐにそのことに気が付かなくてもいいから。
私は、あなたのことを想ってることと、傷ついたのがあなただけではないことを忘れないでほしい。

いつか、許せない気持ちになった時に、一緒に、それを殺せるように。

生きて。


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