「平等」という呪い 〜前編〜
平等という考え方について、皆さんはどう思いますか?
良い考え方?悪い考え方?
そもそも良い悪いで考えるものでもない?
さて、今日は「平等」についてのお話をする中で「何故、日本では平等が重視されるのか」を私なりに考えていきたいと思います。
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そして毎回書くのですが、ここに記載する話は基本的には全て私見で、特に専門的な知見からの意見ではないのであしからず。
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日本の教育は他国に比べて「平等」という考え方が重視されていると言われています。教育だけでなく、割と一般的にも平等であることが美徳とされている風土は強いように思います。
「平等性に欠ける」
「もっと平等にしないと」
そんな理由で何かを反対されたことはありませんか?
平等であることって本当に美徳なのでしょうか?
ここで答えを出す前に同じような文脈で使われる「公平」という言葉にも触れてみたいと思います。
そもそもこの2つの言葉の意味の違いは何でしょうか。
ここではコトバンクの記載を引用してみます。
■平等
〘名〙 (形動)
① 平らかにひとしいこと。でこぼこがなくそろっているさま。〔日葡辞書(1603‐04)〕
② かたよることなくひとしいこと。ひろく行きわたって差別がないこと。一様に扱うこと。
■公平
〘名〙 (形動) 判断や行動が公正でかたよっていないこと。特定の人のえこひいきをしないこと。また、そのさま。くびょう。(一部抜粋)
辞書によって多少記載が異なるのですが、私は
平等:人の解釈を介さず、常に平らである状態
公平:人の解釈を介した上で、偏りを無くした状態
という感じで捉えています。
実際の使用シーンで見ると伝わりやすいかもしれません。
例えば、良い成績を収めた者に高い報酬を与え、悪い成績だった者に低い報酬を与える評価制度は平等と言えるでしょうか?
これは人によって報酬が違う(均一でない)時点で、平等とは言えません。しかし、成果に対して偏りなく報酬を与えるように考えられているという点で公平な制度と言えそうです。そもそも報酬が均一な時点で、それは評価制度とは言えないかもしれません。
敢えて、平等な評価制度を想像するのであれば、「どんな成績であっても同じ報酬が与えられる」という評価制度になるのではないでしょうか。
それを実現したのが共産主義/社会主義と言われる制度ですが、歴史上、これらは上手く機能したとは言えないように思います。
このように考えると、平等を重視すると公平性が損なわれ、公平を重視すると平等性が損なわれる、というトレードオフな関係が見えてきませんか?
ここまでは平等・公平という考え方について触れてきました。
次は冒頭で記載した「何故、日本で平等が重視されるのか」についても考えていきたいと思います。
先に私の考えを述べると、「身近に顕著、且つ引っくり返し難い不平等が少ないから」だと思っています。
その最たるものが人種です。
人種問題が絡むと少しテーマが重くなりますね。
さて、ここで休憩。
後編に続きます。
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