民主主義ってなんだろう?
今日、7月8日。
安倍晋三元首相が、撃たれ、亡くなりました。
とてもショックで、これ以上ないくらいに悲しい気持ちになりました。
心より、哀悼の意を表します。
テレビでは、「民主主義の破壊行為」「民主主義への冒涜」などの発言が取り上げられています。
ここで、民主主義ってどういうことなのか、今一度、みなさんにどうしても考えてもらいたくて、少しお時間をいただきます。
民主主義というのは、ごくごく簡単に言えば、国民全員が主権者として、国の方針を決めることができる、という在り方のことです。
私や、貴方、その他大勢の国民一人ひとりに、この国の方針を決める権利があるということです。
私たちは、生まれるずっと前から民主主義の国に住んでいるので、それが特別なことだとも思わないだろうし、民主主義が当たり前で、最善・最高の制度だと思っている人も居るかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
原始時代には、ヒトも他の動物と同じように、腕力の強いヒトが、弱いヒトを暴力で無理矢理に従わせる形で、問題解決をしてきたでしょう。
社会というものができてからの歴史においても、そのほとんどの時代で、一部の権力のある人や、頭の良い人だけで決めたルールで、その他大勢の人を従わせてきたでしょう。
そして実際に、一部の知識層のみで国を動かした方が、ある程度まとまりもとりやすく、円滑に動かしていける側面があるかもしれません。
でも、そうじゃないだろ、というのが、民主主義なんです。
みんな一人一人に、自分を縛るルールを決める権利があるはずだ。
自分たちがどう生きるかは、自分たちで決めて良いはずだ。
そう考えた人たちが、多くの血を流しながらも、一部の特権階級の人間たちから勝ち取ったのが、民主主義なんです。
だから、今の日本が民主主義国家で、私たちに選挙権という、国の方針を選ぶ権利があるのも、決して当たり前のことでは無いのです。
そして、ここからが今回特に伝えたいことになります。
民主主義がこうして勝ち取られてきたことも当たり前では無いですが、民主主義が今後も続いていくことも、決して当たり前では無いのです。
かなり乱暴な言い方になりますが、民主主義は、国民がバカになったら崩壊するんです。
ここで言うバカというのは、勉強ができないとかそういうことではありません。
考えることをやめてしまったら、それがバカです。
何故、国民がバカになったら、民主主義は崩壊するのか、説明します。
みんな一人ひとりに、自分の生きたいように生きる権利があるとは言っても、自分の生きたい生き方なんて、人によって違います。
時には、その生き方どうしが、相反するものになって、同時には共存できないことだって、よくあります。
それを納得させる仕組みが、選挙でもあるんです。
つまり、選挙って多数決なんです。
投票数が多かった人が当選して、国民を代表して政治をするし、そうした政治家の中でも多数決を行って、法律などを決めるんです。
多数決だから、もちろん少数派だった人の意見は、通らないことがほとんどです。
だから少数派の人にとっては、自分の意見や、同じ考えの人の意見が通らなくって、不満です。
でも、自分の意見が通らなくて不満な貴方の意見が通ることで、不満に感じる人が自分たちよりずっと多い、ということに気付けることが大切なんです。
大切なのは、自分と違う意見を持つ人に対する想像力です。
これは、多数派にとっても同じです。
多数決で勝ったからと言って、少数派の意見を全く無いものにしてはいけません。
結果的に自分たちの意見が通ったけれども、その背景で不満を感じた人も居るという想像力が大切なんです。
そして、選挙と政治には、ちゃんとその仕組みが備わっているんです。
多数決だからと言って、いきなり全ての意見が通るわけではありません。
国会では、決をとる前に、ちゃんと議論をします。
そして、そこには多数派の人だけが居るわけではありません。
ちゃんと国民の意見の割合を反映した、少数派の政治家たちもそこに居るのです。
もちろん結果としては、多数派の意見に寄ることが多いですが、それは多数決なので仕方ありません。
でもその過程で、ちゃんと少数派の意見も聞いて、時には取り入れて法律案を修正することもありますし、もちろん少数派が出した案が通ることだってあるんです。
そうした議論の上に、民主主義は成り立っているんです。
私は国会中継を見ることがありますが、実際の政治の現場では、そうした議論が、完璧にとは言いませんが、成り立っていると感じています。
しかし、国民の間ではどうでしょう。
一時期、「#全部安倍のせい」というハッシュタグが流行ったことがありました。
そこではありとあらゆることの原因を、全て当時の安倍首相のせいにする風潮があり、面白半分で投稿している人も居たでしょうが、その内容を真に受けている人も多いなという印象でした。
世の中、上手くいかないことはあります。
自分の意見が通らないことだってあります。
そして、その原因というのは千差万別ですし、多くの原因が合わさって起こっていることがほとんどです。
それを、全部当時の国家元首のせいだと考えることは、とても短絡的すぎる思考だなと感じます。
今日も、「#全部安倍のせい」って検索してみてください。
こんな状況であるにも関わらず、ここまで心無い言葉を吐くことができるんだ人間って、と思えるような書き込みがたくさんあるんです。
中には、死んで当然とか、犯人を礼賛する人とか、ましてはこれは自民党の自作自演でクローンを処理しているだけとかいう事実無根の話をまことしやかに言う人とか、もう、この国の言論空間はめちゃめちゃです。
でも、これが今の国民の姿なんです。
少数派の意見が通らなくて、国家元首に不満を持つ気持ちは分かります。
でも、それをここまでエスカレートさせる空間が、今国民と国民の間にあるんです。
これを止める為に、私たちはバカになってはいけないんです。
人はバカになると、短絡的な言葉を信じます。
「全部〇〇のせい」みたいな考え方は、とても簡単で、シンプルで分かりやすく、それ以上考える必要を無くすことができて、飛びつくと楽なんです。
そっか。全部〇〇のせいか。なら、自分は悪くないんだな。
そういう思考にも繋がります。
私は何も、政治に一切責任が無いと言いたいわけではありません。
全部自己責任だと言いたいわけでもない。
全部メディアのせいだとも、全部国民のせいだとも言いたいわけじゃありません。
世界はそんな短絡的にできていないんです。
この日本に生きる、一人ひとりが違う生活と背景を持っています。
それぞれに生きたい生き方があり、叶えたい望みがあり、逆にこうなってほしくないという不幸の形があります。
みんなそれぞれに違っています。
だから本来、この世界は、多くの人の思いが絡み合った、とても複雑な世界なんです。
こうだからこう、のように、短絡的に解決できることなんて、社会の中ではほとんど無いんです。
でも私たちは、それでも同じ日本で暮らしていくんです。
そのためには、どこかでちゃんと折り合いを付けないといけません。
その為の選挙なんです。
私たちには、それぞれの主張を自由に行って良いという権利があります。
そして、その一番の場が選挙です。
選挙によって、国の方針が決まります。
それは、国の方針を決める権利を唯一持っている、国民みんなの意見を聴いたから、という前提があるからです。
国民みんなに意見を聴いた結果、多数決で決まったんだから、みんなその決定には納得して従って行かないといけない。
その姿勢が国民から消えてしまったら、民主主義は崩壊するんです。
貴方の生活が苦しいのは、貴方の意見が通らないのは、総理大臣一人のせいではないんです。
総理大臣一人が全部決めて、全部思うがままにやっている、そういう社会では無いんです。
みんなで決めて、みんなで動かしている社会なんです。
貴方の意見が通らないのは、貴方の意見と違う考えの人が、圧倒的に多く居るからで、やっぱりそのことは尊重しないといけない。
また、自分の意見が通ったからと言って、それによって意見が通らなかった人のことを全く無視してはいけない。
多数派は少数派のことを、少数派は多数派のことを、お互いに気持ちを想像し合って、実際に話し合って、折り合える点を見つけて、それで決まったことには納得して従わないといけない。
そうした態度を持てる国民が、少なくとも大半を占めていないと、民主主義は成り立たないんです。
こんなことを言っていると、お前は多数派だからそんなことを言っているんだと思われるかもしれません。
ですが、私は自民党支持者ではありません。
とある野党を支持しています。
少数派です。
政治の世界では、私がこうあってほしいという意見は多数派ではありません。
でも、多数決だからこそ、選挙の結果には、ちゃんと従うという態度を身に着けています。
これこそが、民主主義の成立要件だと思います。
ではなぜ、今の日本の民主主義が、ここまで崩壊してきているのか。
それは、考えることをやめた方が楽だという意識に取りつかれてしまったバカが、増えてきたからです。
そうなると、多数決は、みんなの意見を聴く場ではなくなってしまうんです。
バカを操るのが上手い奴が勝つゲーム、になってしまうんです。
何も自分で考えられない人を、操る為には、なるだけ簡単で短絡的なことを言えばいいんです。
全部〇〇のせいなどと、時には事実とは違う過激な嘘も吐いて、馬鹿を熱狂させれば良いだけなんです。
本当にそうか?もっと違う見方もあるんじゃ?
そう考えて立ち止まることのできる人が減っていけば、それだけ過激で短絡的な言葉が言論空間には溢れます。
今がまさにそうなっていっているんです。
今、世界を見てください。
世界のありとあらゆる民主主義国家で、バカを操るのが上手い奴が勝つゲームが、繰り広げられています。
その結果として世界では、意見の違う民衆同士が完全に分断され、お互いにさげすみ合うのみで話し合いは成立せず、過激化して、悲惨な事件も起きています。
そして、その風潮は今、日本にもやってきています。
その結果が、今回の事件だと、私は思います。
日本の国民が、つまり私と貴方が放置した社会において、今回の事件は起こりました。
このままでは、この方向性にさらに進んで行くんです。
ここで、立ち止まらないといけないんです。
これ以上進んだら、もっと、もっともっと悲惨なことが待っているんです。
そうならない為には、考えてください。
知ってください。
話し合ってください。
みんな一人ひとりが、同じ社会を構成する主権者であり、その総意によって、この社会を適切に動かしていく。
その、民主主義の態度を取り戻さなくてはいけないんです。
選挙を、バカを操るのが上手い奴が勝つゲームにしてはいけないんです。
そうなれば、一部の特権階級が全てを決めていた時代の政治になるのと、同じことです。
既に民主主義は、崩壊期に入ってきました。
でも、今からでも、これを取り戻していかないと、この先の未来は悲惨です。
その未来を迎えるのも、変えるのも、国民一人ひとりでなくてはいけないんです。
その為に、そもそも、選挙は勝ち負けじゃないということを知らないといけません。
たとえ多数派にならなくても、ちゃんと少数派の意見の分だけの政治家が国会に行き、意見を述べてくれます。
その割合の分だけ、多数派は自分たちの意見を少数派に寄せていかなくてはならなくなります。
自分の選挙区で、自分の投票した人が当選しなかったとします。
その票のことを、死に票と言ったりもしますが、実際には死に票なんて無いんです。
例えば当選者が圧倒的多数で勝ったら、自分の意見を変えようとは思わないでしょう。
でも、例えば僅差で勝ったなら、それだけ自分の意見と違う人も居るのだから、少しその発想を取り入れないと、次の選挙では落ちるなと考えるでしょう。
あなたの表明した意見は、必ず政治に反映されるんです。
結果的には、多数派に近い結果が出るでしょう。
でも、それも同じ日本に住む、同じ主権者が選んだ結果なんです。
そのことも受け止める為にも、まずはあなたの意見を表明する為に、必ず選挙に行ってください。
自分の意見が何なのか、分からなければ、まずは知ろうとしてください。
そして、自分の心で考えてください。
その努力を止めた瞬間に、あなたはバカになってしまいます。
民主主義国家において、一番のバカは、扇動されて投票に行く人以上に、何も考えず投票に行かない人です。
その貴方の選択が、確実にこの国の民主主義を更に崩壊へと導きます。
その先にあるのは、今回の事件よりも更に悲惨な社会です。
もうお願いだから、こんな悲しい出来事は起きてほしくないんです。
民主主義を守るのは、私たちであり、貴方です。
民主主義は、国民一人ひとりの絶え間ない努力の上にしか、成り立たないんです。
どうか、お願いですのでどうか、一緒にこの国の民主主義を守ってください。