2023/05_vol.3 子供に会えない寂しさ
2023年のGWは私が社会人になって以来、もっとも長い6連休となった。3月から大手の会社で事業の立ち上げを担っていて、会社自体がホワイトな体質ゆえに祝日は教室を開校しない方針となったからだ。
3月から4月までは0→1からの立ち上げ業務で忙しく、片道1.5hの本社へ出勤していたが、4月下旬からは片道20分ほどの場所へ移り忙しさも徐々に落ち着いていった。
その矢先だった。
妻は子どもたちを連れ去り、実家へ荷物をまとめて出ていった。
計画的な別居だった。
引っ越しトラックがなければ到底持っていける荷物ではないし、保育園には退所の連絡をしていたからだ。
空っぽになった一軒家は一人では広すぎる。
子どもたちの賑やかな声が響くこともなく静かだった。相変わらず妻への電話やメッセージは反応がないまま、子どもたちの様子もわからないままGWは現実逃避の時間となった。
これからの人生、子どもたちの成長を一番近くで見ていることが私の生き甲斐だった。妻と子どもたちのことについて語らい、家族でたくさんの思い出を共有して、笑いながら食卓を囲む。
それが夢だった。
「もう会えない」
そう思うと涙が止まらなくなった。
おじさんの域に入ったひとりの男が恥ずかしげもなく布団の中で一日中泣いた。食欲もなく、とにかく現実を見たくなかった。
鉄のメンタルとまではいかないが、これまでどんなことがあっても一晩ぐっすり寝ればスッキリして次の日を迎えることができていたけど、今回のことは自分でも心が折れてしまったのがわかった。
GWが終え、幸いにも仕事に行く気力はあった。
仕事仲間の上司や同僚にはとても感謝している。
誰かに吐き出したくても吐き出せない。
そんなとき仕事仲間はちょうどいい距離感で接してくれる。
そして話を聞いてくれ、心配をくれる。
とても救われていた。
私は小学生の頃からひとり親だ。
今は弟たちと母は一緒に住んでいる。
そんな母は私にこう言った。
「どこかで元気に暮らしているならそれでいいんじゃないかな。幼くして事故で子を亡くしてしまう親もいる。子をなくした親はもう一生会えないけれど、あなたはそうじゃない。いつかまたどこかで会えるよ。」
そうだよね、ありがとう。
子どもたちに恥じないようにこれからも生きるよ。
しばらくのあいだは家にいることが辛く感じた。
子どもたちのお箸やご飯茶碗、おいていかれたままのおもちゃ、階段に飾られた家族写真。楽しかった記憶がよみがえるのと同時に今の私の心を深くえぐる。
「小学生、中学生、高校生、子どもたちの成長を一番そばで見届けることができなくなってしまったな。大きなランドセルを背負う姿、見たかったな。」
「でも、きっと会えるよね、いつか。」
心は折れている。
それでも前に進まなきゃいけない。
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