小さきものたちの尊さよ
最近は、とにかくいろいろなものに翻弄されっぱなしで、自分の時間もゆっくり取れずにnoteが書けなかった(読むことも)。
正直、翻弄されるということは、自分の軸がブレやすいせいなのかとか、意志が固まっていないせいなのかとも思うが、相手が頑なに自分の領域を守ろうとすればするだけ、一方が折れないと共存は難しいとも思う。
だから、私はどちらかと言うと後者の折れる側になることが多い。それで、結局自分が悲鳴を上げるのだから、世話がない。このスタンスを自分で止めるしかないのだが…。
さて、いきなり余談が過ぎた。
実は昨日、可愛い我が家の愛犬『さくら』が避妊手術を受けた。譲り受けた団体からもそれを義務付けられており、私自身もやむを得ないことと理解していた。
でも、実際してみると。
傷は思いの外小さくてホッとしたものの、大きなエリザベスカラーをはめて自宅に戻ったさくらのしょんぼりとした様子(麻酔のせいもある)。歩くたびにどこかしらにカラーの縁がぶつかって、カツンと音が鳴れば驚き、戸惑う姿。眠るに眠れず、立ったままうつらうつらと船を漕ぐ様子が、気の毒でならなかった。
迎えに行った夫が、さくらの小さな2つの子宮を見せてもらったという話を聞き、私はそんなことも知らずにこの子を迎え入れ、手術に臨んだのかと愕然とした。
もうひたすら私は謝っていた。
これは人間のエゴだ。
さくらは、病院に連れて行かれた理由も、なぜか痛いことをされた理由も分からない。
ただ、突然一人にされて、目が覚めたら、不自由で痛くて。
申し訳なくて泣けた。
そもそも、犬を飼うということが人間のエゴなのだ。今更だとも思う。
ただ前にも似たようなことを書いたが、やはり犬は人間と生きてきた歴史があり
、犬が今の今まで、そしてこれからも人間のそばで生き続ける限り、その存在を無視することはできない。むしろ、大切にすべき存在だ。
だからこそ、不用意に増やして、責任を取れなくなっては困る。生まれた犬たちがみんなが幸せになれるのならまだしも、その最後の最後まで責任を負えない以上、どこかで止めなければらない、とは思う。
世間一般の考え方は分からない。少なくとも私としての理解は、そうなのだが。
同じ動物として、生命として、なんて残酷なことをしているのだろうと、同じくらい強く感じた。
それでいて、あくまで今を生きる犬たちの姿が余計に健気に思えてきて、どの犬たちもこれまで以上に愛おしくて、たまらなくなった。
動物全般、特に犬は昔から大好きだったが、本当にただ可愛くて好きだというだけで、私は犬たちのことを何も分かっていなかった(これからもまだまだそうだと思うが)。
彼らは、小さな生命を一生懸命燃やしている。
私達のところへ来て、じっとこちらを見つめて、何かを訴えている。いろいろな私たちを受け入れてくれている。
本当にありがたい。
家は傷だらけになってきたし、しばらく掃除できないととんでもない汚部屋みたいになるし、生活は少々大変になっているが、それ以上に、さくらの純粋に生きる力を毎日目の当たりにして、励みをもらっている。
ありがとう。
勝手なことばかりでごめんね。
本当にありがとう。
今日、家に帰ると、だいぶ元気になっていて、いつものように尻尾を全力で振りながら、賑やかに私にまとわりついてきた。ほっとした。
明日はもっと当たりの優しい柔らかなカラーが届く予定だ。
これで少しは快適に過ごせるようならいいな、としみじみ思う。