【熱血経営者のキャリア論】現場・顧客第一主義のススメ
VISION合同会社 人と人を繋ぐ熱血経営者の植田仁です。
私の経歴・キャリア
滋賀県に生まれ、滋賀県立彦根東高校で、とことん高校野球に打ち込んだ熱い青春でした。野球を通じて何事も一生懸命やることの大切さ学べました。同志社大学へ入学。
甲子園を目指した高校時代の情熱を、大学は海外留学をするための英語力向上への情熱にシフトしました。
同志社大学在学中に交換留学を2回させてもらいました。
大学2年生の時に、半年間University of Winnipeg in Canadaへ留学。
2001年8月26日にカナダ入国。カナダ生活が始まった矢先にあの9/11米国同時多発テロ。映画のワンシーン?リアル?とニュースで飛び込んできた映像に目を疑ったことを鮮明に覚えています。
大学4年生から5年生にかけて1年間、University of California,Santa Cruz,USAへ留学。
卒業後、味の素株式会社に入社し、営業に打ち込み、26歳で起業。現在のVISION合同会社を後に設立し、多事業展開を行なっております。
宗次徳二氏オンライン講演会
宗次徳二さんは皆さんもご存知「CoCo壱番屋」の創業者です。
宗次さんは、経営者の鏡とも言えるかたです。
今回講演を拝聴出来る貴重な機会に恵まれました。
1時間があっという間で、学びが凝縮されていました。
想像を絶する極貧の幼少期
お聞きしてびっくりしたのは信じられないくらいの極貧の生活をして育ってこられた方ということです。
生後まもなく孤児院に預けられたとのこと。
3歳のときに、「宗次」姓の養父母に引き取られることになる。
養父はギャンブル狂。日雇いのお金を稼いでは、それをギャンブルに注ぎ込む。生活は破滅的で、各地を転々とすることになり、養父母の離婚の後は養父と2人、生活保護を受ける少年時代を過ごされたそうです。
宗次さんはそれがとてもいい経験だったとおっしゃっていました。
養父へは感謝の気持ちしかなく、いつも養父が喜ぶ姿を見たくて、しけもくでもいけそうなのを集めて、それをプレゼントするとキセルで吸っている姿を見るのが大好きだったそうです。
お客様 笑顔でお迎え、心で拍手
奥様と喫茶店を開業されたところからCoCo壱番屋への必然があったとのこと。
値段を安くしても、モノをつけたとしても、店側は喜ばない。だから値下げや名古屋に多いモーニングサービスのようなスタイルではなく、徹底して接客力で勝負されたのが他との差別化になる。
立ち上げから、店舗数がどんどん大きくなっていも、とにかく現場で接客を徹底的に楽しんでおられたようです。
毎日5-10軒回る。感謝をしないではいられない。
コンサルティングはつけたことがない。
現場が全てを教えてくれる。
とにかく宗次徳二さんの現場主義は、経営者としてあるべき姿だと思いました。
衝撃だったのは、500店舗まで拡大していくなかで、不採算でスクラップした店舗はたったの1店舗だったそうです。500から800店舗まで拡張していくときにもう1店舗だけ不採算でスクラップになったことがあったそうです。
接客を極め、現場を極めていくと潰れるお店があることなんてあり得ないということが非常に伝わってきました。
我が身を経営に捧げること=成功の秘訣
飲食業従事者に限らず、経営者だけでなく、どの職業、職種であっても、大事な人として成果をつくるために大事なことを学べました。
宗次徳二さんが休みなんていらない。仕事が楽しい。毎日へとへとになるまで仕事して、眠りについて、朝また嬉々として会社に行っていますとおっしゃっていたのが印象的でした。
宗次徳二さんの伝説とも言えるハードワークっぷりは色々あります。
起床時刻は前日どれだけ遅くとも03:55。
事務所の上にお住まいで、毎日打刻されているが全部超早起き。
百利あって一害もないのが早起きとおっしゃっていました。
そして夏は2時間、冬は1時間清掃作業をずっと10年以上やっておられます。
掃除は365日続けないと意味がないという勤勉っぷりです。
CoCo壱番屋の社長を退任されるまでの15年以上、毎日3時間半近くかけて、お客様の声を毎日1000通以上読まれていたそうです。
決めたことをやり続けていく継続の達人といえます。
私も我が身を捧げて経営の道に打ち込もうと改めて決意する時間になりました。