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お正月に死にかけて魂が死んでいることに気がついた
今年のお正月。一瞬、死にかけました。
お正月になると、よく耳にするニュースのアレです。
お餅がのどに詰まったのです。
咳をすれば、喉のつまりが取れるかもしれない?と思ったけれど、咳はできない。
お餅か…。そう思った瞬間、私の頭には、
「あ~。ここで終わるのか?ようやく終われるのか?」
と安堵が浮かびました。
でも、息ができず、苦しさには負けられず「どうすれば良いんだろう?」と必死でした。
そして、運よくなのか悪くなのか、戻ってきました。
死ぬなぁと思てから、しみじみと私の歩んできた時間を考えてみました。
今を楽しんでいるのだろうか?と自問する
人が死ぬときに後悔することのtopは
「もっと冒険しておけば良かった」
といった内容だと聞きます。
でも、私はそんなこと思いませんでした。
だから、まだ死ぬときではなかったのかも知れません。
それから考えたのは、
私は、この世の中を楽しんだ?やり残したことは?
そして今、私は何が楽しくて生きているのだろうか?
その答えはNOでした。
この世を楽しんだと言えば楽しんだ。
やり残したことは、あると言えばあるけれど、特に思いつかない。
全く楽しくない数年間。
気が付けば、人生いつまで続くんだろう?早く終わらないかな…と考えている。
楽しく生きているのならば、「早く終わらないか」なんて思わないはずだ。
思えば、いつの頃からか、「やらなければならない」で動いていることばかり。
最初は、自分でやりたいからやっていた。
なのに、「やらなければならない」に変わっていってしまいます。
目標だと思っていたことが、うすらぼんやりしてきて、どんどんと目の前の生活にとらわれて、「~のために、これをしなければいけない」「するしかない」
そんな諦めに変わっていたのです。
じゃあ、私の真の目標は何だったのか?と見つめ直した時、良く分からなっていました。
完全に、道に迷ってしまっていました。
じゃあ、何かしたいことは?と考えてみたけれど、何もなかったです。
残りの人生をどうやって生き抜くか?で頭イッパイだけれど、それは「やりたいことをしながら」というのとイコールではなかったのです。
人に迷惑をかけず、行政の世話になることもなく、ひっそりと一人で生きていく。
生きるにはお金がある。でも何もやりたくない。でも収入源は必要だ…このループから抜け出せない。
自分自身への思い込みでいっぱいで魂が死にました
以前は、やりたいことがいっぱいあったのです。
それが無くなったのは勝手な思い込みです。
人と自分を比べて、勝手に落ち込み、ダメだと決めつけていました。
でも、心の底では、何か出来るはず!と思い、探し求めていて、それでも、出てくるのは真の目標ではありませんでした。
本心を隠して感情を動かさないように。
それでも、感謝は「しなければいけない」との意識で過ごしていく中、本心が分からないどころか、魂が死んだ状態になっていました。
魂が死んでいるのだから、真の目標なんて分かるはずなかったのです。
「自分が何を幸せと思っているのか?」
どんな時に幸せを感じるのか?
何を大切にしているのか?
それらをもう一度、探り出す!
元々、私が得意としていた、価値観の洗い出し。
「自分の価値観を知ると、生きるのがラクになる」
もう一度、自分の価値観を見直してみました。
すると、自分が本当に大切にしている価値観からズレている行動ばかりしていました。
私だけではなく、人の人生はいつ終わるか分かりません。
働くこと、生きること、死ぬこと。
生きるために欠かせない健康。人との関り。そして大切なお金。
最も困難だった頃の話など、次回以降、少しずつ残していきたいと思います。
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