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わからない人にわかってもらおうとしてもなんの意味もない

「いらっしゃいませ、こんばんは〜」
そろそろ終電の時間だ。見慣れた顔が次々と入ってくる。疲れた表情をしている人が多い。

毎日のように来店する、ネイビースーツの小柄なお兄さん、マスク越しでしかお会いしたことはないけれど、ハッキリとした二重と筋の通った鼻からカッコ良さを感じる。いつもお弁当と炭酸飲料を1本、買っていく。お弁当は必ず温め、飲み物も同じ袋に入れる。家は近いんだろうか。この時期は冷えるので、通常より10秒長く温めた。
袖や裾のほつれたシャツに、ダメージを受けすぎたジーンズ、50代くらいの男性、いつもダメージ多めの服ばかりを着ている。白髪混じりで、のばしっぱなしの髪を雑に括り、大股でカゴいっぱいのお弁当やお菓子、タバコを買っていく。はじめは怖い人だと思ったが、話してみると孫が大好きなおじいちゃんだとわかった。孫はきっと太っているに違いない。いちばん大きなサイズの袋を両手にひとつずつ持ち、大股で身体を左右に揺らしながら帰っていった。
酔っ払ったおじさんと若いお姉ちゃん、ねっとり身体を絡ませて入ってくる。お姉ちゃんは近くのバーかなんかで働いているんだろう。いつも違うおじさんといっしょだ。おじさんは飲み物やお弁当、お菓子やメイク落としを買っていった。
ベージュのコートを羽織り、すらっと背が高く美人な女の人は残り少ない野菜と卵、ヨーグルトを買っていく。あまりに綺麗なものだから、つい、
「お綺麗ですね」
と声をかけてしまったことがある。言われ慣れているはずなのに、恥ずかしそうに首を傾げて、
「そんなことない、もうおばさんよ。でもありがと」
と言って去って行った。それ以来、来店すると、
「がんばってるね! お疲れ様」
と声にかけてくれるようになった。その一言がすごく嬉しい。

深夜のコンビニで働き始めてから、2年が経とうとしていた。今年で26歳になる。ここのコンビニアルバイトでは最年長だ。オーナーは顔を合わせるたびに正社員を薦めてくるがその度、丁重にお断りする。
朝8時、パートさんと交代する。子育てしながら働いて、母は偉大だといつも思う。
自転車で5分、家に帰る。コンビニで廃棄になったお弁当を温めて食べる。本当は捨てなければならないが、オーナーは黙認してくれている。ありがたい。
シャワーを浴びている間に洗濯機を回すと、ちょうど良いタイミングで洗い終わる。フローラルな柔軟剤の匂いが心地良い。小さなベランダに干して、カーテンを閉め、4畳半のこじんまりとした部屋に布団を敷く。
目覚まし時計はここ数年、かけたことがない。だいたい午後3時から4時の間に目が覚める。お尻が寒いので、布団を敷いたまま肩にかけてパソコンを開く。頭に浮かんだことを文字に起こしていく。
小説家になりたい。22歳のとき、そう思った。

私は4年制の大学を卒業すると、大手の食品メーカーに就職した。名の知れた大学とは違い、同級生たちが小売店や工場に就職していくなか異例だった。
私にはなんの不思議もない。同級生たちは大手の企業に応募していなかった。就職できそうな企業を選び、就職したのだ。私は片っ端からエントリーシートを書き、インターンへ行った。大学のキャリア担当に何度、「やめとけ」と言われたかわからない。言われるたびにやる気になった。
人が好き、それだけを武器に戦った。いろんな会社の面接を受けていくと、面接も上手くなった。その結果、こんな私を拾ってくれたのがその会社だった。

営業に配属された。もちろん初めからうまくいくこともなかったけれど、ハッキリした性格が功を奏して、先輩から気に入られた。怒られることには慣れていたし、できない自分にショックを受けることもなかった。そうでない高学歴な同期たちは辞めていった。学校の勉強を真面目にしていて、今まで特に、怒られることもなかったんだろう。家族や先生に”優秀”として扱われるのが当たり前だった人生が容易に想像できた。
良い大学に進学するため、塾や進学校に通える裕福な家庭に育ち、一人部屋を与えられ、犬や猫を飼っていて、クリスマスには家族でケーキをチキンを囲み、温かな
家で過ごしてきたんだ。
入社から3ヶ月ほど経つと、私は辞めていった彼からよく相談されていた。
「俺、会社辞めようと思うんだ」
「へぇ、そうなの」
「驚かないの?」
「驚いてるよ」
「なんで? とか、聞かないの?」
「なんで?」
「だって俺、辞めるって・・・。理由気にならないの?」
「自分で出した答えでしょ? そう決めたなら応援するよ」
「でも・・・」
彼は引き止めて欲しかったようだ。自分は要らない存在だと思ったから、辞めると言っていた。だから私に、必要だと言って欲しかったんだ。
他人に必要とされていない? 必要とされたことなんてない私にはわからない感覚だった。必要じゃないからなんだって言うんだ。私が引き止めていたら辞めなかったのか? それこそ、必要とされている自分なんていないも同然じゃないか。答えを外に求め続けて生きてこれたんだ。それだけで幸せじゃないか。他人が自分を必要としていないなんて当たり前じゃないか。だから生きていくんだろ。そのうち、なんのために生きているのかわからない、とか言って自殺するんじゃないか。まぁ、温かな家族がいるようだから、それは大丈夫だと信じたい。

新社会人のギャップで同期が辞めていくなか、残った高学歴もいた。黒髪のロングヘアを後ろで束ねて、150センチくらいのコロコロとしたかわいい女の子だった。笑顔とミスが多くおっちょこちょいな性格だが、すぐに謝罪をしている姿は好印象だった。自分のことをかわいいと認識している、世渡り上手だった。
彼女とは気が合い、よく仕事終わりに飲み行った。彼女は学生時代、キャバ嬢として割と人気があったらしい。
「そ、だからさ、おじさんの相手得意なんだわ」
と言っていた。
「でもさ、たまに居るんだよね。若さしかないだろ、って言ってくるやつ。はぁ〜。若さ利用して悪いかっつの」
「え、お客さんで?」
「そ! そう言う奴に限ってケチだし、ハゲだしデブ! 若くてかわいい今のうちにキャバやってんだろ〜っつって。わかんないかなぁ」
「わかんないよ。なに言っても。若いってだけで指名もらえるわけないのにね」
「そ〜なんだよ! ホント、9割喋りだから! そのために毎日毎日、日経とサンスポ読んでんじゃんね」
「すごいね。根性がすごい」
「こう見えて努力してんだわ〜(笑)。どこかに未来の旦那がいるかも知れないしね〜」
「あ、そっち目当てだったの? 彼氏いるじゃん」
「同じ大学だったからぁ、有能かもって思ったけど。なんか私より年収低いの気にしてんだよね。どうでもいいのに。そんなとこで競いたくないから!」
「そっか〜。じゃ悩んでんの?」
「ん〜、まぁねぇ。そりゃ年収高い方がいいけどぉ。そこ比べられちゃうとねぇ。男のプライドってやつがあるみたい。別れよって言われたよ〜」
「え、もう言われたんだ。いっしょにいるの辛くなっちゃったんだねぇ。で、どうしたの?」
「嫌だ!って言いたくないし、泣きたくないし。そっか、って言って終わり! そこは女のプライドあるからね〜」
強いね。と私は言った。
彼女は自分の武器をしっかり理解していた。許されるいまのうちに、わざとミスしているんじゃないかとすら思えてきた。そんな、学校の勉強とは違う賢さがあった。きっとどんな場所でも、自分を活かしてうまくやるんだろうと思った。

私は特に人間関係に困ることもなく、仕事も順調だった。けれどずっと、物足りなさがあった。人が好きで営業職を志望していたけど、本当だろうか。私は同級生を、先生を、家族を、見返したかったんじゃないか。大手の企業に入社して、見下したかったんじゃないか。今の仕事に不満はないけれど、満足感や充実感もない。むしろ、内定をもらったときがいちばん、歓喜していた。
ほら見ろ、学歴なんて関係ないじゃないか、と証明できた気がした。年末に地元で会った友人、某有名大学へ行って、私をかわいそうな目で見たあの友人。同じ大学の同級生、どうせ無理だと鼻で笑ったあいつ。家族は——。あの家族は。

父は別居、事実上の母子家庭で育った。姉と兄が一人ずついる。父はいわゆる、ブラック企業に勤めていて、家族を養えるほどの収入がなかった。そのうち、接待費を母に要求するようになった。母は一人の収入で3人を育てた。何度も「離婚しろ!」と言ったが、母は頑なに拒んだ。離婚しないので、母子家庭がもらえるはずの手当ももらえなかった。
姉と兄はそんな母を支えようと、高校生になると家から通える範囲の私立高校に入学、公立高校の就学支援金の手続きをした。
幼い頃から身体が大きく、歳上に見られることの多かった私は、姉の学生証を使って中学生のうちからアルバイトをした。怪しまれない程度に学校も通った。案外みんな、騙されるもんだと思った。
給食費や高校入学費用は自分で稼いだ。それが当たり前だった。そうしないと生きていけなかった。なにもせずに親からお小遣いをもらって遊んでいる同級生を見ると、どうしても仲良くなれなかった。妬ましかった。
私が高校に入学した頃、姉は大学4年生、兄は短大の2年生だった。姉と兄は地元の国公立の大学へ進学し、奨学金を借りながら、返済不要の奨学金をもらっていた。お金で困ることは減っていったように思えた。
しかし、父の要求していた接待費が借金の返済に使われていたとわかった。父の会社は給料の未払いが続いて、同僚は自殺した。父はなにもできなかった自分を悔やみ、壊れていった。仕事には行かず、酒に溺れ、作ったのが借金だった。借りた先がまともなところならまだ良かった。けれども、父が借りたのは消費者金融、18%の金利だった。時効になるまで返済しない、という方法もあったが、母は父をひどく愛していて、私たち子どものことも考え、父の借金を返済することになった。
そんな家庭で、まっすぐ育つわけがなかった。私は女子高生を売りにして、100円の靴下を1,000円にした。いろんなものをオークションで売った。救いがあるとしたら、自分だけは売らなかったことだ。
荒んだ私の生活を、担任の先生はひどく心配した。先生は私が欲しい言葉をくれた。私は段々、先生に惹かれていき、いつの間にか親密な関係になっていた。先生と過ごす時間が私の一瞬の安らぎだった。初めての恋人、何もかも初めてだった。私もみんなと同じように、ふつうに恋愛できていることがうれしかった。
けれども時々、先生の目を怖く感じた。それは、セックス中によく感じるものだった。いつもの目は優しいのに、急に変わる。瞬きを忘れたような、いつもより大きく開かれた目が、奥の方で怪しく光っている。獲物を捉えたような、違う人間かと思うくらい、怖い目をしていた。
とても怖いのに、私はその目を見ると興奮するようになった。なぜだかわからない。だけど興奮する。女に目覚めた瞬間だった。

母が父を病院へ連れて行き、アルコール依存症と統合失調症の診断を受けた。
私が、あんなやつ早くいなくなればいいのに、と母に言ったら、ひどく悲しそうな顔で泣きながら頬を打たれた。すごく悪いことをしたように思えた。父は生活保護を受けた。父の借金も、4人で返済したら5年かからなかった。高校の先生とは卒業をおきに連絡を取らなくなった。
姉と兄は、母の様子が見られるように市の公務員になった。借金もなくなり、自分だけの生活を考えれば良くなった大学3年生、自分のためだけに生きたくなった。成績が良いのはお金のためだと思っていた。それだけじゃなかった。本を読むのが好きなんだと気づいた。遊び道具はなかった。だからよく、空想して遊んでいた。その行為が好きなんだと、気づいた。小説家になりたい。そう思った。
そのことを家族に伝えた。
「そんな不安定なことダメに決まってるでしょ!」
「お母さんたちが動けなくなったら誰が面倒見るの!?」
「あんたにそんな才能あるわけないじゃない! なに考えてるの!?」
「夢なんて叶わないんだよ。見るだけ馬鹿じゃないの」
「お金にならないことしても意味ないでしょ」
「そのうち絶対に後悔するんだからね」

やりたいこともやらずに安定した仕事をして一生を終えた方が幸せなのか。そんなわけないじゃない。そんな人がいるのか。その方が絶対に後悔する。やりたいことをやって後悔したっていいじゃないか。迷惑かけてるわけじゃない。
両親の面倒は兄弟二人がしっかりしてるんだから大丈夫だよ。やっと自由になれたんだ。好きなようにやらせてくれ。両親には産んでもらって感謝している。けれども、だからといって、孝行するために生きていくなんて、中国仏教じゃあるまいし、馬鹿げている。他人になにいわれたっていいじゃないか。馬鹿にされたっていい。生きるのはお金のためだったか。そのために産まれた、産んだのか。
誰かに必要とされなきゃいけないのか。そんなことどうでもいいじゃない。なにを気にすることがある。やりたいことをやってなにが悪い。
お姉ちゃんみたいに真面目に生きて、公務員の旦那に嫁いで、子どもを授かって、家を建てて、幸せならそれでいい。なにも否定していないのに、どうして私を否定する。
お兄ちゃんみたく、公務員になって積み立てもして、両親の老後のことを考えて介護の勉強もして、人のためになることに生きがいを感じていて、本当にすごく立派だと思う。どうして自分のために生きるのを、そんなに嫌悪する。
否定されてもいいし、認められなくてもいい。もう決めた。ただ純粋に、やりたいことをやりたいと言えず、怖いからそうやって否定するんだろう。「いまが幸せ」なんて言葉、吐き気がする。そこで満足ならずっと、そのまま、生きていたらいい。

そう思った。純粋な気持ちだけではなく、今まで私を馬鹿にしてきた人たちを見返してやりたいと思った。だから大手の企業に就職した。安定した給料をもらったら、考えも変わるかもしれないと思った。けれども、なにも変わらなかった。見返したい、そのエネルギーは長続きしないんだとわかった。だから特に不満のない職場だったけれど、1年ほどで辞めてしまった。周囲からは、もったいない、と言われた。

それから、深夜のコンビニで働き始めた。中学生のときからいろんなところで働いていたから、仕事に慣れるのはあっという間だった。常に人手不足でありがたいと思った。昼間(正確には夕方から夜)はひたすらタイピングをする。執筆、と呼べるようなものじゃないけれど、それに近い行為をする。
何度もコンテストに応募した。一度も賞をいただいたことは無い。やっぱり、才能なんてなかったんだと思う。退職せずに働いていた方が良かったんじゃないか、とたまに考える。
同期の彼女は軌道に乗っているようで、新しい彼といっしょにタワーマンションに住んでいる写真が送られてきた。
一度遊びに行ったが、とても綺麗なところだった。大きな窓ガラスで景色も良かった。お風呂は足を伸ばせるほど広く、玄関だけで私の部屋と同じくらいなんじゃ無いかと思った。眩しかった。

26歳、女性、フリーター、彼氏なし。
かわいそうなプロフィールだ。それでも生きている。


#創作大賞2022

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