たまたま(小説ショート)
夜の9時をまわったころ、夜の空気はすでに眠りにつきそうだった。オレンジ色の光がポツリ、ポツリ、ひっそりと佇んでいる。太陽にいじめられた草木と湿った土の香りが時折り、大型トラックや、やけに賑やかな音楽とともに鼻先をかすめる。
人の気配が微かに残る大通りを横道に外れる。細い道に並ぶ民家はすでに暗い。ゆっくりと呼吸している。歩くたびにジャリ、ジャリ、足裏で砂利の擦れる音が鳴る。
やけに響く砂利の音を気にしなくなった頃、ベンチが見えた。背もたれはない。ただの板に4本の黒い脚、苔がビッシリついている。地面から生えてきたんじゃないか。腐りかけている。おとな2人座れば窮屈なくらいの幅しかないけれど、なぜかもう1人座れるように隙間をあけて、腰を降ろした。安いジーパンだからか、お尻がひんやりした。
窮屈に押し込まれたタバコを右の尻ポケットから取り出す。風が強い。左からくる風に背を向けるように丸まって火をつける。手の内側だけが少し暖かい。息を吐きながらほんのちょっぴり上を向いた。少しだけ、星が見えた。
「はやく寝なさい」
誰しもが聞き覚えのある言葉だ。まだ、9時だというのに、家族はご飯を食べ終わり、お風呂に入り、寝る準備を整えている。奥の部屋ではラジオから漏れる歌謡曲といびきが重なり合う。太陽とともに健康的な生活を送る人々の、当たり前に繰り返される日常だ。
私は一度、布団に潜り込んだものの、やっぱり寝られなくて外に出てきた。半袖にジャンパーを羽織っただけでは、寒い。寒さは苦手だけれど、自然に直接触れている感じが心地よい。
タバコの煙を追いかけ、1年前を思い出していた。
私は長野県の工場で働いていた。人里離れたところだったが、車で少し行けばスーパーや小型の商業施設があり、生活には困らなかった。
「スズキさん、スズキさん」
「なに、トリー」
「スズキさん、彼氏いないってほんと?」
「本当だよ」
「いまから、僕がカレシ」
「なに言ってるの(笑)」
トリーはタイ人だ。初めて会ったときからずっと、こうして話しかけてくる。冗談なのはわかっていても、真っ直ぐな目で言われるとドキッとする。
寮付きの工場勤務なので、ブラジル人やタイ人、ミャンマー人が多い。40人働いているけれど、日本人は私を含め4人だけだった。みんな陽気で、いつも冗談を言って笑わせてくれる。10分前行動はしないけれど、始業時間ぴったりにはちゃんと出勤するし、わからないことはハッキリとわからないと伝えてくれる。ちゃんと教えれば、同じ国同士の言葉で伝えてくれることもある。子どもはいないが、我が子のようにかわいかった。
キーンコーンカーン・・・
学校と同じチャイム音が鳴った。昼休みだ。各々が手を止めて、休憩室へ向かう。私は作業のミスがないか、機械がちゃんと止まっているか確認をしてから、いつも少しだけ遅く休憩に入る。
休憩室に向かう途中、タバコを吸いに外に出た。
「スズキさん、いつもお疲れさま」
にこっにこしながら、ミャンマー人のノーイ君が話しかけてきた。
ノーイ君は家族で日本に住んでいる。娘と息子がひとりずついて、ふたりともまだ学生だ。毎日、せっせと働いてくれる。私よりも勤務経験が7年も長いのに、日本人の方が立場が上だから…なのか、細かく確認を求めてくれたり、手が空いたら何をしたら良いか聞いてきてくれたりする。私が何も言わずに忙しそうにしていると、知らないうちにトイレ掃除をしていてくれる。
ノーイ君のおかげで、喫煙所もトイレも更衣室もゴミ箱周りも、いつも清潔に保たれている。
毎日、同じ生活を繰り返すのに精一杯で、家族でちょっと良い外食したり、旅行へ行ったりするようなお金はない。
「ノーイ君は、なんでいつも、そんなにがんばって働けるの?」
お給料は私の方が良いし、家庭がない分余裕はある。それでもいつも、ノーイ君の方がなぜか、私より幸せそうに感じてならない。
「僕はヒトリじゃない。愛する奥さんが居て、愛する子どもがいる。仕事はすっごく疲れるよ〜。だけど、家に帰ったらリセット。スズキさんはね、いっつもヒトリ。ヒトリはよくない。がんばれないよ。大変。でも、がんばってるね。わかる?」
「私はみんなががんばってくれるから仕事できるよ。独りじゃないよ」
「ううん、みんなスズキさんのこと好き。みてればわかる。スズキさんいるからみんないるだよ。でも、スズキさんは、ヒトリ」
なんとなくわかるけど、なんとなく、しかわからない。ただ、ノーイ君は心の底から私のことを心配して、信頼してくれているのが、わかる。本当に言葉は伝える手段でしかないんだと実感する。
「スズキさん、コーヒー飲む?」
ノーイ君はそう言って私に、つめた〜い、微糖のコーヒーを手渡した。
たまたま日本に生まれて、たまたま日本人の両親を持って、たまたま姉がいて、たまたまサッカーを始めて、たまたま公立の学校へ行った。たまたま静岡で育って、たまたま地元の友だちができて、たまたま近所のラーメン屋でバイトをした。
人生は全て神様が決めたもので、ただの人間は神様の決めた運命に従って生きていると思っていた。時の流れに逆らうこともできないし、生まれた場所を変えることだってできない。家族を入れ替えることも、母国語を交換することも難しい。望んだわけじゃないのに、日本人として日本語を日常的に話している。たまたま与えられた「当たり前」に、違和感を感じる。
当たり前の日常から逃げたい。その思いから、少しのあいだ海外で生活をした。当たり前はなくて、雑多な日々が当たり前だった。正解はなくて、自分の選んだ道が正解だった。幸せはなくて、自分が幸せなら幸せだった。誰も何も教えてなんてくれないから、自分で教えてもらいにいかなきゃいけなかった。そんなのは当たり前だった。
なにから逃げたいのかはわからなかった。だけど、日本にいる窮屈さを感じていた。
「どうして海外に来たの?」
現地で会った日本人に聞かれた。初めましての人同士が、「出身はどこ?」なんて聞くのと同じように、海外で同胞に会った者同士がよくする質問だ。日本人に限った話じゃない。外国人同士もよく、この話をしていた。
「日本は窮屈だったので」
私は決まってそう答える。私の答えに対して、2パターンあった。
「日本って生き辛いよね」
同調するタイプの人のほとんどは、好んで海外に住んでいる人が多い。私と同じように日本から逃げてきたタイプで、たまたま日本に生まれちゃっただけの人だ。
「そうかな?どこが窮屈なの?」
疑問を持つタイプの人は駐在員か、日系企業の現地採用か、海外にいても日本人との繋がりが多い人ばかりだ。その国に住んでいるくせに、日本の良いところ、日本人の良いところばかりを話し始めたりする。つまらない。
たまたま貧困差の少ない日本で生まれたから、たまたま物価の安い国で日本人だから、たまたま男だから…たまたまの集合体で威張っている人を見ると、虫唾が走る。私が逃げたかったのは、そういう、偶然を平然と欲する思想、そこから外れることへの監視の目、が溢れる家族から、逃げたかったんじゃないか、と思う。
だけど大好きなノーイ君は、「ヒトリはだめ」と言う。独りじゃがんばれないけど、私は独りだから、海外へ行けたんじゃないかとも思う。捨てるものがないのは強いけど弱い。続かない。
カリッ、カリッ、いつもは開くはずのプルタブが開かない。
「スズキさん、だから、ヒトリは良くないよ」
缶と苦戦する私を見て、ノーイ君がにこにこしながら開けてくれた。
「ありがとう。…けど、独りじゃなくなるまで、もうちょっとがんばってみる」
にかっと笑っていう私に、ノーイ君は本気で困ったような、呆れたような、表情を返した。