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キャラクター(小説ショート)

夜中に目が覚めた。
眠りの途中で起きることなんてないから、はじめは起きたとも分からなかった。夢のなかかと思った。天井を見つめる。何の音もしない。
月が、孔雀の羽のように、冴えた青色を帯びている。月光がひっそりと、私の部屋に侵入して、もともと白だった天井に青い光を流した。遥か遠くで犬の鳴く声が聞こえる。世界には私しか存在していない、と思うほど静寂している。

視界の左端で何かが僅かに揺れたような気がして、視線を動かすと顔もほんの少し左に傾く。
2月、立春は過ぎているものの、寒い。意識が妙にはっきりとしている。凍えた部屋の空気がゆっくりと鋭く鼻腔を通過した。
むくり。上体を起こして、先ほど揺れたカーテンを見つめた。小さなことは気にならない性格だ。いつもはカーテンが揺れるのなんて気づきもしないのに、きょうは気になる。
気のせいかもしれない。たまたま、揺れただけかもしれない。揺れていないのかもしれない。もしかしたら窓を閉め忘れただけかも、しれない。
一瞬で様々な可能性を考えたが、それは可能性でしかなかった。考えていてもどうにもならない。
左手でカーテンの裾を掴む。見えない糸で引っ張られるように左手が斜め上に上がった。窓際にはお気に入りのぬいぐるみが置いてある。小さな熊のぬいぐるみだ。そのぬいぐるみは誰がくれたものか、いつからこの部屋にあるのか、どうしてお気に入りなのか分からない。それほど幼い頃からあったとも思うし、最近だったような気もする。覚えていない。窓は閉まっていた。

小さな熊のぬいぐるみが、踊っていた。

小さな熊のぬいぐるみは無表情——熊に表情があるのかわからないがそう感じた——で右手をまっすぐ上にのばし、左手を軽く曲げ、くるくると踊っている。踊り終わったのか、首から上を小さく、ゆっくりと左右に振りながら少し、頭を垂らした。霊的なものの類はホラーや怪談と呼ばれ恐れられるものだけれど、怖くはなかった。

ぬいぐるみが頭を上げると、目が合う。
にっこり、というより、にやり、と笑った。

私の口は微かに開いて、ぬいぐるみから目が離せなかった。
「ようこそ」
にやり、と上目遣いでクマが言った。
低いとも高いともどちらにも聞こえる声だった。

「やっと気づいたんだね」
にやり、またクマが言った。
「毎晩、踊ったり散歩したりしてたけど、全然気づかないんだもん」
「え、毎晩?」
「うん、毎晩。起きているときだって、気づかなかったよ」
起きているときにも? 本当だとしたら、全く気が付かなかった。
「それ、本当?」
「うん。鞄に入って、会社に行ったこともあるよ」

そういえば少し前、入れた覚えもないのに鞄にこのクマが入っていて、職場の人に揶揄われたんだった。自分で入れたんだと、思い込んでいた。クマが勝手に動くはずがないと、思っていた。私の常識は間違っていたことになる。ぬいぐるみというものは、少なくともクマのぬいぐるみは、自分の意志で動くことができる。これならサンタクロースだって、本当に存在していると思う。いいや、サンタクロースは子どもたちが信じている限り、実態がなくとも、存在しているのか。
このクマはどうだ。ぬいぐるみなんだから、実態はあるのだ。ただ、ぬいぐるみは動いたりしゃべったり、踊ったりしない。これは、なんだ。いや、動いたりしゃべったり踊ったりする、クマのぬいぐるみなのか。

「夢じゃないよ」
クマが言った。
「夢じゃ、ないのか」
私が言う。

「なんで動けるの?」
私が聞くと、
「僕が動いているって、君が気づいただけだよ。僕はずっと動いていたんだ」
クマが言った。

「僕たちはね、本当はいつも動いているんだ。だけど、動いているって気づく人は少ないよ」
「どうして?」
「僕たちは、かわいい存在として人間に作られた。子どもへのプレゼント、寂しさを埋めるために買う人もいる。疲れた人を癒したりもする。だけど、僕たちだって感情があるんだ。ずっと悩みとか愚痴を聞かされたら疲れるよ。人間にとっては僕たちに感情があったら邪魔なんだ。だから動いているのも気づかないんだよ」
「じゃあなんで私は動いてるって気づくの?」
「それくらい考えなよ」

考えて出る答えなのか。考えること自体が大切なのか。そもそも、答えなんてあるのか。考えてもわからない。だけど、考えるのは大切だと思った。

「君、会社だとすごく元気なんだね」
突然にクマが言った。
「この間ついて行ったときに思ったんだ。家にいるときと全然違う」
「そりゃあ、仕事だからね」
「ふぅん。仕事、ねぇ」
クマは小馬鹿にしたように、大きな鼻で笑った。
「いつも元気だね、ってよく言われるよ」
「いつも元気でいることが、仕事、なの?」
「モチベーション管理も仕事じゃないのかな」
「元気じゃなくても仕事はできるよ」
「そうだけど・・・。職場の空気を明るくするのって、大事じゃない?」
「辛くないの?」
「仕事だからね」
「また仕事、ね」
クマはさっきよりつまらなそうに、鼻で笑った。

私はいまの仕事が好きだ。できるならずっと続けていきたい。そのために良い関係を作るのは大事だと信じてきた。私がいるだけで場が明るくなる存在になりたいと思って、がんばってきた。それがいま、実を結んでいる。
だけど、弱い私もいる。5年つきあった人と別れた翌日も、元気に振る舞うのはとてもキツかった。必死で元気に振る舞った。
少し元気がないと周りの人に”きょう元気ないね”と言われる。そう思われるように行動してきたのは私自身だ。後悔していないけど、たまに、すごくしんどいときがある。
無理して元気でいることに気づく人なんていない。職場の人も、元気な私を求めているんだと思う。みんな自分に必死で、生きるのに必死で、私のことに気をとめる人なんていない。自分で選んだ道だ。私のことを気にしてほしいなんて、わがままなのはわかっている。ときどき、わがままだって、言いたくなる。

「元気でいる君しか、君じゃないんだね」
クマが言った。
「君が元気じゃなかったら、職場での君は存在していないんだよ。だって君は、元気でいるように求められているんだから。僕と同じさ。でも君が僕に気づいたように、元気じゃない君に気づく人だって、いるんだよ」
「そんな人、いるのかな?」
「君が僕に気づいたようにね」

私はなんだか、急に眠気に襲われて、寝てしまった。

いつものアラームの音で目を覚ます。身支度をして仕事へ向かう。
「おはようございます!」
「きょうも朝から元気だねぇ」
会社の人が言う。私はニカッと笑った。

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