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後悔①

「いま、どこにいるの」
「よくわかんない。杁ヶ池のあたりだと思う」
薄いポケットに入れたケータイが震える。電話だ。取ると、聞き慣れていたはずの声が、いつもより低く響く。1年半ぶりに声を聞いた。それだけで、喉の奥が熱くなる。
「なにしてるの」
「歩いてた。じっとしていられなくて」
「……散歩? 変わらないね」
小さな声で、呟くようにそう言った。大好きな人の声を聞き逃さないよう、電話に集中する。
「とりあえず、拾いに行くから、近くに何があるか教えて」
相変わらず低いトーンのままだ。
「コンビニがある。わかる?」
「たぶん。なんとなく。とりあえず行くわ」
「ありがとう」
トッ。切れたあとの電子音を聞いたらまた涙が溢れそうで、素早くケータイを耳から離した。待っている間に、ペットボトルのアイスコーヒーを2本買った。いちばん大きいサイズにした。

ベッドのなかで1年半前に別れた彼のことを、未だに、鮮明に思い出していた。いまなら、私のことをどれだけ大切にしてくれていたか、よくわかる。初めての彼だったから、当たり前の存在だと思っていた。だから、愛情のないただのお金持ちを良いと思ってしまった。すぐに間違いだと気づいた。
私に合う良い人はいくらでもいると思った。いるわけなかった。彼がどれだけ私を大切にしてくれていたかだけでなく、私は自分の気持ちもよくわかっていなかった。私が好きなのはあの人だったのに、その気持ちさえ蔑ろにして、どこまでも救いようのない浅はかさを悔やんだが、なにもかもが、もう遅い。

「ありがとうございました〜」
女性店員のやけに明るい声を背後に浴びながらコンビニを出ると、待っていたかのように見慣れた白のヴェゼルが止まった。運転席側の窓を軽く叩こうとするより先に、彼の視線が私に絡む。ドアが少し開いたけれど、どうして良いのかわからず、私は素早く冷たいコーヒーを座っている彼の太ももあたりに押しつけた。
「とりあえず、座ったら?」
感情の感じられない声だった。
「う、うん」
すぐに反対側に周り、彼の視線を右半身に感じながら乗り込む。
「お疲れさま」
「うん、ありがとう」
「なんか照、瘦せたね」
「そうかな? いま60キロくらいだから、ピーク時より減ったけど、そんな瘦せてないよ」
「そっか。私は5キロ以上太ったよ」
元気な様子にほっとしながらも、想像していたより元気で、淡々と話す彼にショックを受ける。私を見る瞳に、昔のような暖かさは、ない。それでも彼を少しでも感じたくて、横顔を見つめた。
「なんで泣くの」
彼は眉尻を下げ、首を少し左に傾けながら、小さな子をあやすようなやさしい声でそう言った。彼が私を見る瞳も少し柔らかくなった。昔を思い出す。
「わかんないの。勝手に出てくる。気にしないで」
そう言ってリュックからティッシュを取り出し鼻をかむ。
「ティッシュどこかにあったと思うけど…」
そう言いながら彼は車内のティッシュを探す。
「ううん、きっといっぱい泣くと思って、たくさんティッシュ持ってきたから、大丈夫」
ほら、と言って私は彼にたくさんのティッシュを見せた。なかには、大型ファストフード店でついてくる、紙ナプキンも混ざっている。本当に女性としての品がないな、と思った。彼は笑うこともなく、ただ小さく頷いた。

照の言葉の、ひとつひとつが、頭のなかではっきりと響く。仕事をしていても、友だちといても、家にいても砂浜で寝転がっても、おいしいご飯を食べても、アルコール度数の強いお酒を飲んでも、いつまでも彼がいる。離れない。がんばって笑ってみたものの、痛々しい。
よくある話、ありふれた話じゃないか。別れた人に新しい恋人ができて、私のことはもう風化しているなんて、なんの面白みもない。つまらない話だ。わかっている。

「どこか行きたいことろ、ある?」
「……特にない」
本当は彼の家で、彼の匂いや空気を全身で感じたかった。新しい恋人がいると知って、やめた。初めてデートした場所へも行きたかった。仕事終わりにたくさん運転させちゃ悪いと思って、やめた。言葉はいつも本当とは限らない。
「とりあえず、出すね」
「うん」
どこかよくわからない道を、照は目的もなくただ走らせる。
私たちはここ1年半の間にあったことを話した。
私は4月に大阪へ行ったこと、半年で社員を辞めてアルバイトとなったこと、あのときに目が眩んだ人とはすぐに別れたこと、それからも照の穴を埋めるようにいろんな人と付き合ったり、セフレも作ったけれど、虚しくなるだけだったこと、気がついたら照に似ている人を探し続けていて、照じゃないと穴は埋まらないんだと知ったこと……変わりなんていないんだと気づいたことを話した。
照はただ頷いて聞いてくれていた。

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