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想像を絶する人権侵害(0)
1945年8月6日、広島に原爆が落とされた。
少女は黒い雨を浴びた。
「真っ黒になった」と後日回想している。
17年後、彼女は男の子を出産した。
それが私である。
これがその後、原爆投下後の追跡調査チームが私を特定して人体実験動物として利用するための一つのきっかけであると考えられる。
1. 幼稚園
幼稚園の頃の記憶はほとんど無いが、園児が皆、運動場でわいわい騒いでいるのを、端で座り込んでただ見ているだけの私に、
「遊ばないの?」
と先生から声をかけられたことがある。
このことも私を絞り込む一つの要因だったかも知れない。
(断定はできない)
小学生になってから、幼稚園の担任だった先生が私の家の玄関先で母と話をしているのを見かけた事がある。
2. 中学校
中学校からバレーボール部に入った。
ある日、体育館で練習していてボールを拾いに壁際に行くと、扉から覗いていた見知らぬ男性に「Aクイックに入るときの踏み込みが良くなったね」と声をかけられたこともある。
私はものすごく緊張するタイプであり、運動神経も酷かったのでめちゃくちゃ下手くそであったが。
3. 不審な同行者
2022年12月31日にツイートしたように、89年-90年の年末年始にスキューバダイビングのツアーでグランドケイマンに行った。
当時既に、レギュレータを自分でボンベに取り付けられないぐらいの臆病な状態だったが。
ツアーとまったく関係ない誰も知らない男二人が同行してきた(終始無言)。
何となくだが、彼らは私に注目している印象を持っていた。
彼らは、帰りは同行しなかった。
多分ペンタゴンに寄ったのだろう。
4. 音・光による精神破壊工作に至る経緯の考察
私が特定される第一の要因は原爆投下と黒い雨であると考えているが、その他にも注目される要因はあったと考えてもおかしくはない。
また別の機会に投稿する事があるかも知れないが、現在受けている拷問や人体実験の中には、学生時代から心当たりのあることが幾つか存在する。
長い間、随分苦しみ続け、何度も這い上がろうとしてきたが、ことごとく潰された。
自分が想像を絶する恐ろしいことに利用されていると気づいたのは2015年又は2016年だったと思う。
当時は、"誰も信用しないだろうし、どうしようもない。このまま生きていくしかない"と観念していた。
2017年秋頃から、少しずつ精神的に元気になり始め、2018年1月中旬のわずか2-3日ではあるが、自分が追い求めていた健康な心が宿った。
この状態に早くなっていれば・・・と思っていた。
人体実験組織の連中は、すぐにこの状態を潰しにかかってきた。
そして3月5日の音・光による精神破壊というとどめの工作が行われたのである。
想像を絶する人権侵害(1):音・光による精神破壊工作
私の勘が少し鋭いためにこの工作は完全な成功には至らず、その後1週間ぐらいの間にさらなる工作が2つほど行われている。
2018年3月は、現在投稿した他にもたくさんのエピソードがあるが、現時点でそれを書き綴る必要は無いだろう。
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お時間のあるときに目を通していただければ幸いです。