『ダカランド』の歌詞本(自作)を再読する
娘は寝る前に絵本を読む習慣(3冊まで。音読は親)があるんだけど、昨日本棚から「これ」と持ってきたのが、昔作ったこの本だった。
えっ、あっ、これ?
いやいいけど。
まだ『いないいないばあっ!』を毎日鬼リピしてた時期に、私が好きな歌だなぁと思って手書きで歌詞とイラストつけて自作した本。とはいえ、今や娘はEテレ完全卒業組。今リクエストが来るとは思わなかったのでちょっとびっくりした。まぁ、読んでこか。
読むというかまぁ、結局歌っちゃう。
1年聴いてないから、「ここの音あがるっけ、さがるっけ?」がちょいちょいわからなくなるけど、まぁ大体歌える。んー、好きだなぁ。
でも娘に「この歌、覚えてる?」と聞いても「わすれちゃったー」と言う。
「この本一緒に作ったねぇ」も、やっぱり「わすれちゃったー」だって。そっかぁ。
ふざけてそう言ってるのか本当に忘れてるのかわからないんだけど、でも4歳児の1年前=もうすぐアラフォーの私にとっての10年前みたいなもんだよなと思ったら、まぁ忘れてたっておかしくないのかぁと納得もする。ちょこっと寂しいけど、そもそも9割方私の自己満足で作成してる本なので、まぁしょうがないよねーそんなもんだっていう気持ちの方が大きい。私だって、自分が見てた幼児番組のことなんてほとんど覚えてないもんな。そういうもんよな。
だからむしろ、それだけ『忘れてる』が前提の上で、「でもここにシール貼ったのは覚えてる」って言ってもらえるのが沁みる。娘の頭の上にうーたんが乗ってるのを見つけて、楽しそうに指差しながらゲラゲラ笑ってくれてるのが嬉しい。そっか、今の君にもそんなにウケるのか。ここにうーたん描いて良かったなぁとか、ここをこういう構図にして良かったなぁって、1年越しでしみじみした。
あの頃はまだ娘もひらがなが何種類か読めるか読めないかって感じだったから、カタカナには全部ふりがなをつけた。
結局今、娘はカタカナもひらがなも読めるようになってる。あの気遣いは結果的には無意味なもので、でもそんなの結果論でしかなくて、じゃあそれはあの当時の私が親として精一杯考えた行動の産物だったんだから良かったんじゃないかなって思う。がんばったねぇ、私。
それにまぁ読めるって言っても、何文字も並んでいるそれをすらすら読めるっていう段階ではないからね。また本棚にしまいこんで、次にこれを引っ張り出す頃には自力でさらっと読めるくらいになってたりするのかしら。子どもの成長って不思議だねぇ。
いい歌だから、大きくなってからまた曲から楽しむといいよ。ゆっくりでもいいからダンダンと、ドンドン進んでいこうね。