【突撃!ナレトーーク】第8回 藤村由紀子さん(第1部)
ナレーター界を盛り上げるべく始動したメディアプロジェクト『HITOCOE』。
ナレーターのさかし(坂下純美)とあこ(甘利亜矢子)が、ナレーターの皆さんのライフスタイルや人生観、それぞれの働き方を紹介していきたいと思います!
今回は、ナレーション海外市場のパイオニア・藤村由紀子さんです!
アナウンサーになるまでの紆余曲折!
さかし:由紀子さんは元々アナウンサーでしたよね。まずなぜアナウンサーになりたいと思ったんですか?
藤村:お店の取材に行っておいしいものを食べたり、テーマパークを紹介するためにロケに行ったりして楽しそう!!と思っていました(笑)
あとは、先生の一言がきっかけですね。
私、中高時代に学校の成績がすっごい悪かったんですよ。先生にも面談で「クラスで下から2番目に成績が悪いです」って言われたほど。中高一貫校で3年連続で同じ先生が担任だったんですが、面談のネタが尽きたのか、あるとき苦しまぎれに「あなたは声がいいわね」って言ってくれたんです。単純な私は「えっ!声がいい?じゃあ、アナウンサー!」と調べ始めたら、なんだかとっても楽しそうな仕事だなって思ったんです。
いかにも成績の悪い子の考え方って感じですよね(笑)
さかし:その後大学に進んで、就職活動でアナウンサー志望だったということですか?
藤村:そうです。北海道から九州まで受けましたね。
でも実はその頃、薬の副作用で顔中から膿が出てた状態だったんです。元々アトピーを持っていたんですけど、どうやら間違った薬を10年ぐらい出されていたようで…
さかし:10年!?
藤村:肌荒れが全然治らないので大学病院で診てもらったら「こんな危険な薬、今すぐやめなさい」とまさかの診断。でもやめたら今度はリバウンドなのか、顔中から膿が出てしまったんです。
就職活動中で、しかも顔を出す仕事だからせめて今までの薬を使いたいって言ったら、「危ないからダメ」「今年は就職活動を諦めろ」とまで言われてしまって…。
それでも受けたくて、治験中のお薬をいただきつつ、顔の熱を引かせるためにいつも面接会場にアイスノンを山のように持っていきました。
とはいえ、がんばって化粧してもやっぱりパンパンに顔が腫れているのは一目瞭然で。その状態でキー局の面接に行ったら「何その顔?」って。説明したけど「ふーん。はい、次」って何も言わせてもらえず。「あ、落ちた…」って思いました。
結局、就職活動中はあまりよくならなかったんですが、就職活動の前に撮ったプロフィール写真は、奇跡的によく撮れていたんです。なので「今はこんな顔ですけど、治ればこうなります」って言って。それを信じてくれたのが心優しいミヤギテレビだったんです。
ちなみに私は仙台で一次試験を受けたんですが、東京会場だと当時はピンクや水色、黄緑など鮮やかなスーツを着ている華やかな人でいっぱいだったんですが、仙台会場ではわりと地味めのリクルートスーツの人が多くて。そのおかげで覚えてもらいやすかったのかもしれません。
一次試験でしっかり話を聞いてもらうことができ、その後カメラ試験まで進み、最終的に採用になりました。
入社したときに、「藤村さんは一次試験を東京で受けていたら、受かってなかったかもね。」と人事担当に言われたくらいなので、本当に運がよかったと思います。
アイスノンとか持ち込んで怪しい感じだったのに、よく採ってくれたなって(笑)
さかし:それは確かに感謝ですね!
藤村:本当に採用してくれたミヤギテレビには、今も足を向けて寝られない。あの状態でよく採ってくださったと。本当にいい人たちばっかりの会社です。
結婚…そして、家出!?
さかし:何年ぐらいアナウンサーのお仕事をしていらっしゃったんですか?
藤村:4年目の春に辞めてます。結婚することになって。
入社一年目の冬に小中学生500人ぐらいと一緒に船でグアム・サイパンに行くイベントがあって、私はそのリポーターとして同行したんです。そして、そのときに医療スタッフとして乗っていたのが今の主人です。
そんなに早く結婚するつもりはなかったんですが、「悪い人じゃないし、ま、いっか」とあまり深く考えず。私は仕事はそのまま続けるつもりだったんです。
ところが主人が転勤することになっちゃって。東北のどこかに行くことになったんですが、どこからも局に通うのは難しい場所だったので主人に「辞めてくれ」と言われてしまいました。
私としてはなりたくてなった仕事だし、3年で辞めたくない。一方、主人は私より年上だったのでもう落ち着きたいと思っていたのかもしれません。でも、当時私は25歳。だんだん自分の担当番組を持たせてもらったり、メインでやらせていただくような年齢だし、ここから!って思っていたところだったので、すぐに「はい」とは言えませんでした。
いろいろと粘りましたが、結局辞めることになりました。でも私も往生際が悪いので、退社の挨拶のときに「辞めたくない」「本当は辞めたくないのに辞めます」って言っていたらしいです(笑)
さかし:顔を冷やしてまで試験を受けて受かったのに…
藤村:ホントそうですよね。でも、主人が「奥さんを働かせてると思われるのが嫌」というようなタイプで。仕方なく、転勤についていきました。でもね、暇!やることがない!
主人は「ガーデニングとかお菓子作りしててくれ」って言うんですけど、「あなた甘いもの嫌いだよね?」みたいな(笑)ガーデニングも性に合わなくってやる気になれませんでした。だって、私はこまめに雑草を抜くより除草剤をバーッて撒いておしまいにしたいタイプだから。
仕事に関しては、辞めた後に他のラジオ局から「この番組やらない?」ってレギュラー番組のお声がけをいただいたんですけど、主人には認めてもらえませんでした。「それは夜遅いからダメ」って。夜遅いって、子供じゃないんだからって感じですよね。
ずっと仕事をしたくても認めてもらえなくて。それで、とうとう家出を決意するんです。
さかし:家出!!
藤村:でも中途半端に家出をしたところでダメだろう、怒られておしまいだよね。よし!すぐ追いかけて来られない場所にしよう!って、アメリカに行ったんです!
さかし:壮大な家出!!
藤村:主人に内緒でインターンとか募集しているところを調べて、応募書類を送ったりしていました。それでFOXテレビ(アメリカのテレビ局)の報道部に決まったんです。
これでまた働ける!と思ったら、なんとあの9.11が起きたんです。
そうすると、報道部はどこの馬の骨だかわからない外国人は全部シャットアウト。特にインターンなんて信用も何もない。全部白紙になりました。
でも、子どもが産まれたらたぶん動けなくなるし、動くなら今だ!別の道行こう!って調べた結果、ハリウッドでインタビューなどをしている会社を見つけたんです。運よくそこでのインターンが決まったので、すぐにアメリカに飛びました。
向こうはやっぱり楽しかったです。いろんな映画のプレミア試写会で、ハリウッド女優さん、俳優さんにインタビューするお仕事をさせてもらえて「あぁこれ楽しいからずっといよう!」って思っていたら…主人が自分の両親を連れて迎えに来ちゃいました。
さかし:さすがに!(笑)
藤村:一応ね、家出するときは「家出妻の住所です」って、行き先は伝えていたんです。喧嘩別れみたいな感じじゃなくて、「楽しい家出計画」みたいな感じ。大丈夫です、今も円満です(笑)
そして帰国して…そこから私の演技生活が始まります。
仕事がない日は「仕事したい、仕事したいなぁ、つらいなぁ」っていう、モヤモヤした、よどんだ空気を家の中で醸し出すんです。で、単発で司会の仕事をいただいたときには、どんなに疲れていても、どんなに忙しくてもお料理をちゃんと作って、すっごいご機嫌で「おかえりなさーい!」って言って、大切に主人を扱うっていうのを何ヵ月も続けたんですよ。
さかし:戦略的!!
藤村:それでとうとう「仕事していいよ」って許可がおりました。
ちょうどその頃、NHK仙台の人が「夕方の番組をレギュラーで担当しない?」って声をかけてくださって。主人から言われた仕事をする条件は「朝ご飯と晩ご飯を作れない仕事はするな」。担当するのは夕方の番組だから即座に「やります!」って言って、ありがたくやらせていただくことになりました。
1年半近く番組を担当していたら、今度は、前にいたミヤギテレビから戻ってこないか?って話が来たんです。たまたま当時、朝の番組のニュース担当者が足りなかったみたいで。
とはいえ、せっかくお声がけくださったNHKにわずか1年半で「辞めます」って言うのも失礼だし、新人時代から育ててもらったミヤギテレビに不義理もできない。そこで「上の人同士で話していただけませんか?」って言ったんです。で、両局のアナウンス部長で会議を持っていただき、結局ミヤギテレビに戻ることが決まりました。
NHKには1年半在籍して、その後ミヤギテレビに3年間いたということになります。
ミヤギテレビでは朝と昼の番組を担当していたので、朝3時起き。4時に家を出て、4時半出社、昼過ぎまで仕事をするという生活をしていました。
生き残るための手段を模索!
藤村:ちょうどその頃、あたりを見渡してみると、私よりキレイで私より上手なアナウンサーっていっぱいいると感じたんです。
このままでは生き残るの厳しいな…しかも途中から契約のような形で戻ってきていて正社員じゃないから、これは何か手に職をつけないと危ないなと思いました。
元々英語は好きだったので、「年齢を重ねても、経験がキャリアになる通訳を頑張ってみよう」と思ったんです。当時、アナウンサー30才定年説も言われていましたから、年齢を重ねることがプラスになる仕事ができたらいいなと。だから、通訳もできるアナウンサーになろう、外国人選手へのインタビューとかもできるし、ということで、通訳学校に通い始めました。
早朝勤務の後、夜8時ごろまでインターネットカフェにこもって通訳学校の予習復習をして、夜10時ごろに帰宅する主人のご飯を作って、夜12時に寝るという生活をしていました。そうすると1日3時間ぐらいしか寝られないんです。
でも楽しかったんですね。仕事も楽しいし、通訳の勉強が今後に繋がると思っていたから苦じゃなかったし。でも家事もしっかりやっていたから、ある日倒れて救急車で運ばれました(笑)
そのまま救急車で運ばれて緊急手術ということになったんですけど、そこからは3時間睡眠は週2~3回にとどめようっていう形で。
さかし:それでも週何回かは3時間のままだったんですね…
藤村:そうなんです。
そしてミヤギテレビとの契約だった3年間が終了。ニュース担当は卒業したんですが、週に1回の情報番組のMCだけはそのまま継続させていただきました。
その後妊娠がわかり、ギリギリまで仕事を続けて、一旦テレビの業界からは卒業しました。
で、子供が生まれると主人が「子育てに専念しろ」と言うのは予想通りでして(笑)もちろん「保育園は駄目だ」「幼稚園に入れろ」とかね。
でもすごく小さく生まれた子で新生児期はICUに入ったり手術をしたりといろいろ大変だったこともあり、私も不安で、子どもが幼稚園に入るまでは一切仕事をしませんでした。
その後、幼稚園に入ってからは「園に行っている間だけでも何かできないかな」と思っていろいろ調べていました。ちょうどそんなとき、新聞コラムを読み上げるお仕事の打診をいただき、「ナレーションだったら自宅でできそう。どうやったらできるんだろう?」ってさらに調べたんです。それが今から10年ちょっと前ですね。
探しているうちに「どうやら海外にもそういった仕事があるらしい、地方在住の私としては、最初からスタジオに行けないところと仕事をするほうが合ってるかもしれない」と思い、海外とのナレーションの仕事を始めたのが今に繋がっています。
さかし:ここでようやく本格的にナレーター業に。
藤村:そうなんです。テレビ局の仕事で番組のナレーションもやっていましたし、フリーのアナウンサーとしてVPやCMのナレーションのお仕事はやっていましたが、プロフィールに「ナレーター」って書くようになったのは海外の案件をし始めてからです。
その頃は、国内での宅録の仕事は今ほどメジャーではなかった印象です。たまにご依頼を頂く程度でした。
さかし:最初のころの海外案件で今でも覚えている印象的なお仕事ありますか?
藤村:とある中国のホテルの非常時の館内アナウンスを担当したんですが、そのときの翻訳された原稿が素晴らしくてですね。「閣下。財物に未練を持たず、疎開してください」って書いてあったんです。
さかし:…え?
藤村:自動翻訳をかけてるから、「皆様」「お客様」が「閣下」になっちゃって、「お荷物を持たずに」が「財物に未練を持たず」になって、「避難してください」が「疎開してください」になっていたんです(笑)
これじゃあ、避難できないですよね。だから「こっちで訳し直すので元の英語の原稿送ってください」って言って自分で訳し直しました。海外案件はこういう原稿が来ることもある、とそのときに分かって、「楽しいじゃん!」って(笑)
「こんなすごい原稿見たことない!」みたいなのがいっぱい出てくるので…
さかし:ネタがいっぱい!
藤村:そうそう。思い出に残ってるのはそれでしたね。
さかし:日本語でナレーションをするけど翻訳もできるというのは強いですね。日本人から見た日本語の矛盾がちゃんと指摘できる。
藤村:そう。だから海外の仕事をする強みは「日本語のネイティブ」だと思ってます。Google翻訳のコピペ原稿とかなかなかびっくりすることもあります。
最近は、原稿を見ておかしければ少し手直しをする程度で済む、まともな原稿が増えましたが、以前は原稿が来たら「ちょっと!何これ!」とか言いながら思わず楽しんでしまうほどの原稿が多かったように思います。
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写真や声から感じる雰囲気からは想像できないほどパワフルな由紀子さん。なんでも楽しむ、とりあえずやってみる、の姿勢がベースになっていたんだなぁと感じました。
さて次回は!由紀子さんが主宰のVoiceover Japanについて詳しくお聞きしましたので、是非続きも読みにいらしてくださいねー!
【ライター】
さかし(坂下純美)
東京在住のナレーターで一児の母。都内スタジオでの収録を主に活動。1年ほど前に宅録を開始。Twitterで情報を集めながら日々勉強中。
〇HP…https://www.sakashitamasami.com/
〇Twitter…@sak1013
あこ(甘利亜矢子)
静岡在住のナレーター。司会業を中心に伊豆半島全域を走り回る日々。只今育児の為、司会業は育休中。宅録はスタートラインに立ったばかり。
〇note…https://note.com/amariayako
〇Twitter…@amariayako