「羊感」とは
開店以来ずっと引っかかっていた言葉です。
「羊感がしっかりしてる」
「もっと羊感がほしい」
う〜ん。
その…「羊感」って…どういう意味なんでしょうか?
「旨味」よりも「風味」
お客様に直接話を聞いてみると各々微妙な違いはあれど、「旨味」ではなくとにかく「香り」「羊臭さ」などの「風味」、その次の次くらいに「脂の質感」であることがわかりました。
開業当初、さらにその前の前身店での限定品の頃は羊の匂いをダイレクトには出さず、スパイスの風味を脂に移していました。
それは決して臭みを消すためではなく、スパイスの香りで旨味を増幅させる手段でしたし、他の羊料理でもスパイスと合わせるのは常套手段です。
開業から日が経つにつれ「もっと羊感があったほうがいい」という声は増えていきました。
前の記事でも書いたように、「ラーメンが食べたい」お客様より「ひつじが食べたい」お客様が増えてきたためです。
個人的には中国やモンゴルあたりのダイレクトな羊風味の料理ではなく、ほどほどにスパイスを効かせた中東〜中央アジアの羊料理を好んでいましたし、「ラーメンが食べたい」お客様にはそのほうがマッチしていたので変えるつもりはなかったのですが、開店から1ヶ月ほど経ち客足も激減してきたので、少しづつ増えてきた「ひつじが食べたい」お客様の嗜好に寄り添っていくことに方針転換しました。
ところがスパイスを抜いてもお客様のいう「羊感」は出ない。
羊の香りが乏しい上に、羊と併用していた鶏の匂いのほうが強く出るようになってきました。
試行錯誤を重ねるうちに気づきました。
「ひょっとして羊ダシほど風味が繊細なダシはないのでは?」
肉料理だと羊の風味は動物界屈指の強さを誇ります。
しかしダシとなると別物で、羊ダシ単体では強烈な個性を放つものの、鶏や魚介など何か別の素材と合わせると負けてしまう弱々しい一面があります。
ソロでは圧倒的な輝きを見せるもののハロプロシャッフルユニットの中に入るとなぜか埋没してしまうあややのように(例えが古い)。
「羊感」への迷走
開店当初はコンソメにする前のスープはラムのゲンコツと一緒の寸胴鍋に同量の鶏ガラ、モミジ、丸鶏も入れていました。
これはまず羊のゲンコツの値段の高さ、仕入れがやや難しく(どこの肉卸さんでも常に取扱いがあるわけでもないので急な仕入れが不可能)、羊の他部位のガラの仕入れはさらに難しくゲンコツのみの羊ダシ単体ではやや単調になるかもという懸念もあったため鶏との組み合わせになりました。
その頃は「もっと羊感を」と同時に、ラーメン好きのお客様からは「ラーメンらしくない」「もっとラーメンらしい後味を」という感想も頂いており、十分な売上が出せず原価も上げられないため、安価で後味の強いモミジを増やしていきました。
これにより当初は半々だった羊と鶏の比率が4:6に。やや鶏のほうが多くなりました。
ただそのスープをとった後は大量のラムひき肉を混ぜて澄ませるので、最終的にはひつじ風味になるはず…と計算していました。
ところが鶏の風味が勝ってしまう。比率を戻しても、羊のほうを多くしても、澄まし用のラムひき肉を増やしても「羊感」は出ませんでした。
羊の風味の乏しさを補うため羊脂を増やしてどんどんオイリーに。開店当初とは別物になってしまいました。
今だから白状しますがこの頃のお客様には大変申し訳無かったと後悔していますし、自信もなくなりました。実際それまで何度も通って下さっていたのにパタリと来なくなったお客様もいました。
羊の風味は繊細
やがて薄々感じていた「強いと思っていた羊の風味は実は繊細で、他との組み合わせには弱いのではないか」という疑問は確信になり、スープ作りの大幅な変更に踏み切ります。
1つの鍋で炊いていた羊と鶏を別々に分けて炊き、羊ダシにはゲンコツだけでなく羊足も加え、材料の重量比ではなく別々にとったスープの比率を羊6:鶏4にして合わせました。
さらに澄まし用のひき肉にはラムの一番臭みの強い脂身のひき肉を混ぜることで、やっと、やっと、食べ手の好みははっきり別れますが誰が飲んでも「羊感」を味わえるスープになりました。
また羊と鶏を別々に炊くことで羊ダシが鶏の風味に支配されるのを防ぐだけでなく、羊ダシの風味をしっかり残すことでラムひき肉の風味と掛け算になって強く出せるようになりましたし、完成量と濃度も安定しやすくなりました。
「羊感」に振り回される
こうして「ひつじそば」もスランプを抜け出し安定してきましたが、「羊感」をクリアするためにラムの脂身を加えることで大量の脂が余るようになってきました。
そもそも油脂には匂いを吸着させる性質があり、「羊感」を決定づけるパーツである上に、一番しんどいスープ作りで持て余すほど出てくるのなら、スープを使わないまぜそばで利用しない手はない。
太麺に大量の脂を絡め「羊感」を出しつつ、バランスを取るためヨーグルトやトマト、赤ワインなどの酸味やスパイスを加えてみました。
個人的には満足できる出来でしたが、ここでも「もっと羊感を」という声は相次ぎました。さらに同時に「もっと酸味を」「もっとスパイスを」という声も。
しかし1つの器の中で「羊感」を強く出しながら他の風味も押し出すのは無理ではないか。かといって「羊感」に特化しすぎると飽きやすい…
思案の末、一旦ませそばのパーツをバラバラにしてそれぞれの風味を増強した結果、無理に一皿にまとめず分解したままのほうがお互いわかりやすく引き立つし飽きにくいという答えに行き着きました。
それが、羊脂とコンフィ、ペコリーノのシンプルかつ強い「羊感」のまぜそばにトマトやレバー、ココナツなど強い風味のつけ汁を組み合わせ
た、人と羊スタイルのつけめんです。
まぜそばだけで羊の風味と旨味を存分に味わえる上に、つけ汁は単品スープとして途中飲みつつ麺に漬けて味の変化を楽しめるようになりました。
このスタイルが確立してからは毎週、ほどなくして毎日のように「羊感」のある限定ラーメンが出せるようになりました。
最初は困惑しましたしクリアする過程も苦しみましたが、生き残るためにはお客様の嗜好に寄り添う必要がありましたし、結果的にはどこにもない食べものが作れるようになり、まさにお客様と羊に鍛えられたと感じます。
「風味」より「旨味」へ
お客様のいう「羊感」とは「風味」であることがわかり、それを安定して出せるようになりましたが、かといって個人的には「風味」こそが「羊感」であり最も重要だ、とは考えてはおりません。
言葉選びの妙かもしれませんが、「羊は臭みがあるほうがいい」「臭みがなければ羊を使う意味がない」というご意見は理解はできますが共感はできかねます。
相当羊肉を食べ慣れている方でも「ある程度臭みがないと羊が感じられない」という感覚があること自体が、日本ではまだまだ羊肉食文化が成熟していない証左ではないかと考えています。
日本人が食べ慣れている鶏豚牛に置き換えてみるとご理解いただけるかと思います。
「鶏は臭みがあるほうがいい」
「臭みがないと牛を使う意味がない」
という意見は聞いたことないですよね?
個人差はあれどやはり「風味」よりは「旨味」に重きをおき、臭みがないものがハイエンドというのが共通認識でしょう。
(一部、豚骨ラーメンでは臭みフェチも少なくないですが…)
ですので中東など羊肉食文化が成熟している地域からのお客様がお見えになった時は敢えて普段とは違う、テリーヌから出たスパイシーな羊脂を加えるようにしていますし、直接ご感想を尋ねてもやはり直接的な臭みは好まれないとのことです。
ただ言葉の意味はもちろん、味覚も時代ごとに変わっていくもの。
今日の日本の「羊感」はしっかり出し続けつつ、未来の、そして世界の「羊感」も見据えて羊料理を探究していきたいですね。
店主の勉強代になります。何かしらのカタチで還元できると思いますので魔が差したらサポートおねがいします。