#37 私が私になるまで
今、私は心の声に耳を傾けることができる。
そうやって気づいた夢の実現のためには、泥臭い努力ができるし、たくさんの人と繋がれる。人に何と言われようと気にも留めず行動ができる。
私は今の自分が大好きだ。
しかし、私が今の私になるまで、長い長い旅をしてきた。
まずは、染み付いて離れなかった考え1
子どもの頃から私は苦手なことが多かった。
勉強。スポーツ。どちらも大嫌いだった。
しかし、中学で運動部に入った。父に言われたから。高校でも運動部に入った。スポーツはやはり好きではなかった。それでも運動部に入ったのは、スポーツは自分の中で自分を鍛えるための一種の修行だった。そうして気づけば運動部を6年経験していた。
すると、大学ではもう運動をしない事はサボりだと自分の中で決めつけていた。大学でも運動部に入った。もちろん、修行のために。
さらに勉強。勉強はできなかった。理解力がないのだ。高校受験の勉強の際、3桁の引き算ができていなかったことに気づいたときは衝撃的だった。(父は高校数学の教員である)
国立大学に入らなければならないという父の洗脳と自分の思い込みによって、猛勉強した。
そして最後に仕事。
私は社会人1年目を教員として過ごした。
しかし私は教員に向いていなかった。計画性がなく、スケジュール管理が苦手だった。整理整頓ができなくて、いつも机の上はぐちゃぐちゃ。記憶力が以上になく、さっき言われたこともすぐ忘れる。30人余りの子ども達に気を配らなければならない仕事であるが、マルチタスクが苦手だった。人生で一番しんどい1年を過ごした。しかし、当時辞めるという選択をすることができなかった。
「苦しいことから逃げてはならない」
そう思っていたから。
しかしそれが変わった出来事があった。
それは社会人2年目で病院を受診
結果、ADHDの診断、薬の服用
である。
今まで、苦手なこと、できない事は自分の努力が足りないからだと思っていた。
しかし、それは違っていたことに気づいた。
薬を服用し、他の人の生活を体験したことで今までの自分の人生がいかに超絶ハードモードだったかに気づけたからだ。
私は自分を責めることを止め、人には向き不向きがあり、また、人それぞれ感じ方考え方が違うということに気づいた。
今まで「絶対」だと思っていた
自分のモノサシは、なんともまぁ小さいモノサシだったのだ。
こうして仕事を辞めることは決して「逃げ」ではないと思えるようになった。
診断を受けてからというもの、もっともっといろんな世界を見なければならない、そう思うようになった。
そこで長期休みにフィリピンに一人旅することにした。初めての感覚。止まらないワクワク、もっと学びたい、もっと知りたい。私はそんな感覚に魅了された。
そして新たな夢ができた。
それは、発展途上国で教員をすることだ。
決めた。当時教員2年目。3年日本で経験を積んで4年目から海外に行こう。
これが私の初めての夢だった。
to be continue
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