駅の詩(うた)
午後5時、下北沢駅。小田急線の改札前。
ついこの間までのうだるほどの暑さはどこへ行ったのかと思うくらい、頬をそよぐ風は切なさを含んで涼しい。
ヒビの入ったiPhoneの画面をスクロールし、あなたとの連絡を見返す。
あなたが乗る電車がホームに辿り着くのを待ちながら、あなたとのこれまでを振り返っていた。
出会い、と表現すればいいのかわからないが、
初めてあなたを知ったのは文章を記すSNSだった。
SNSといっても、私の使い方といえば誰にアカウントを教えるわけでもなく、思ったことをつらつらと書き連ね、たまに知らないひとから反応をもらう程度のものだった。
私にとってそこは、私から切り離された私も知らないわたしが、じぶんを見つめなおす場であり、わたし以外はそこに存在していなかった。
しかしある日、似たテーマや単語のアルゴリズムでレコメンドされる記事をふと覗くことがあった。
そこに出会ったのが、私と同じように、ソーシャルな自分から切り離され、匿名でことばを連ねるあなただった。
あなたが表現する世界は、びっくりするくらい
わたしが感じている世界だった
わたしはあなたに自分を感じ、じぶんを表現してくれるちがうじぶんとしてあなたの記事を読み耽るようになった。
そのSNSには、見たということや、内容への共感を表明する機能がボタンとして備わっており、記事ごとに表示されるそれを押すとハートが彩られる。
私の画面に表示されるあなたの記事は、だんだんと赤いハートで埋め尽くされていった。
いつからか、あなたからもハートを貰うようになり、ただただお互いの記事を読んでいるという表明をし合う関係が続いたある日、私の記事のコメント欄にあなたのことばが紡がれた。
それは、わたしにとっては
降り続いた雨のあとに射した木漏れ日のような
遠く離れた祖母から送られてきた手紙のような
眩しくて、あたたかくて、触れると壊れてしまいそうで、とても尊いもののように感じた
すぐには返せず、もはや返すことすらも迷い続けた私が返信のコメントを押したあの瞬間は、初めてあの子にメールを送ったあの日の気持ちに近かった。
何を求めることでもなかった
文章から、顔が見えないところから始まる運命的な出会い、そんなことを空想すること自体が浅はかに感じるくらい、あなたという存在とことばを紡ぎあえるその瞬間がありがたいことだった
そのあなたに、連絡をしてしまったのは
どうしてだったんだろう
会いたかったのか
自分を知って欲しかったのか
あなたを知りたかったのか
それは今でもわからない
だがそこからは、誰かに向けた言葉同士ではなく
それぞれに向けた言葉を交わすようになった
日常なんて、お互い出すことはしないから
歳すらも、どこに住んでいるかも知らない
ただただ、お互いが紡ぐ世界に寄り添う日々。
あなたの事は知らない
でも、会ったその先に何があるのかを知りたくて
ある日私はあなたに誘いのような、許しのようなそんなことばを送った
そしていま、顔も知らないあなたが
確かにここに向かっている
言葉に表せない何かがうずまきつつ
どこか心地よい緊張を胸に
去年から吸い始めた電子タバコにスティックを差し込む
煙の奥に霞むのは、
出会い、別れ、流れる人の喧騒
数時間後なのか、数分後なのか、私は誰かの目にどう映り、どうあなたと別れを告げるのだろう
会えてよかったです、なのか
また会いましょう、なのか
そんな表現はわたしたちにふさわしくなさそうだな、なんて言い合えるようになっているのだろうか
加熱時間の終わりを告げる振動を指に感じ、吸い殻をしまいながら私は改札を振り返る
ポケットに別の振動を感じ、メッセージを交わしてたアプリを開く。
「こんにちは。会っちゃいましたね」
画面から目を離すと、少し先に、
あなたが、あなたと確信をもてる誰かがはにかんでいた。
あなたを中心に世界が歪んで、ぐるぐると回り始めるのを感じる。
道行く人たちの足音と笑い声、線路を走る電車の音、改札の音がワルツを奏でる。
私の詩は、ここで終わり。
これからは、わたしたちの詩。
「ですね。」
短くメッセージを送り、私は一歩一歩踏みしめるように、あなたのもとに歩き始めた。