母を想った1月1日
のんびりと起きてなんちゃってお節を詰める。
から揚げ山ほど揚げてお雑煮を作る。
ニューイヤー駅伝を見て初詣に行きビールを飲んで膝で眠るねこをなでなでうとうとしていた7時半ころ息子から電話が鳴った。
さすがに元旦から開いている居酒屋はないらしい。さらにお金もない。ということで昼間来てお昼を食べた友人たちをまた連れて帰りたいと言う。昼から1人増えて3人。
「晩ご飯何?」
「帰るならすき焼きするけど大勢分はないで」
と言うと「材料買って帰る」と言う。
ダンナは既に酔い潰れて寝ている。
もうビールもさんざん飲んで眠気もきていたのでええっ⁇今から⁇と思ったがはたと考える。
私の母はいつも私の友人達を笑顔でもてなしてくれた。急なお願いにも嫌な顔せずいつもパンパンの冷蔵庫から材料を出してチャッチャと料理を作ってくれ2軒隣にあった酒屋からビールを買ってこいとお金を渡してくれた。
一緒に盛り上がり終盤では絶妙のタイミングで締めの味噌汁を出汁から作ってくれた。
更に友人達が帰った後も
「片付けは朝するけん」と私を寝させてくれた。
思えば随分甘えていたなあ。
次の日が営業の場合モーニングは7時半からだった。
よし。今日は母の後を追ってみるか。
覚悟を決めて
「じゃあ材料買うてきて」と返事をする。
喫茶店をしているがたくさんの料理を作ったりもてなしたりは苦手だが今年は殻を破ろう。巳年にちなんで脱皮しよう。子供達が楽しそうな姿を見るのは幸せだ。
しかも息子がお正月に家にいるのは5年ぶり。
大学で長距離を走っていた息子は箱根駅伝走らなくても応援やフォローで現地にいて帰省はできなかったからだ。
トントントンと野菜を切り目分量割下を作る。
煮物の醤油を一升瓶から鍋に注ぐ母のやり方だ。
高校の同級生達の話しは楽しい。
無口で学校や部活の話しをあまりしなかった息子の学生生活や部活での話しがたくさん聞けた。
1人は同じく小中と剣道をしていて試合や厳しかった先生やキツかった合宿の話もいい思い出話しだ。
年末には生まれて初めて数の子を漬けた。
絶対しないと思ったけど魚屋さんでつい手が伸びてしまった。
31日JA直販所はいつもより早い7:30Openだった。母の大晦日の早朝恒例の買い出しにも昨年は参戦してしまった。
Open前に着いたら行列ができていて開店と同時に店内に雪崩れ込み巻き寿司やお節やお餅を買う客に混ざって私も勢いよくカゴ満タンにしてJAを後にした。
やはり
母の後を追っている。
同じことをしている。
それが血よ。
12時を回っても話は尽きないので戦線離脱。
初日の出を見に行き部活で走った丘ダッシュをした彼らだが若いって元気だ。
そして12時半頃「楽しかったなあ」と話しながら帰って行った。1滴も酒を飲まずに。
良い日だったなあ今年の元旦。