ロックンロール=全肯定型福祉
いまだロックンロールしている。
子どもの頃はじめて聴いたときの、あの胸の高鳴りが、今も変わらぬテンションで60(2011年当時)の体を駆け巡っている。こんな不出来な人間の人生を、ロックンロールは、非難せず見捨てず終始寄りそい支援し続けてくれている。ロックンロールの個別支援がなかったら、この人生どうなっていただろうと、あらためて振り返ってぞっとするときがある。様々な自滅的局面で、ロックンロールは、さりげなく手をそえて明るく歌いかけてくれた。
オーケー・ベイビィ・すべてはオーライ!
それだけでは救われない人もいるだろうが、それで救われた。存在自体が世界から否定されても、それでも生きのびられた。単純だと笑われてしまうが、そうだった。
めちゃくちゃダメな部分もかなり反社会的な問題行動も、ロックンロールはぜんぶ認めて、そっくりそのまま受け容れてくれた。ロックンロールの支援は極めてここちよく、押しつけがましくなく、なによりも楽しいのだ。あるがままでいられることが、こんなにも人を解き放ち、確かな自立へと導いてくれるとは思わなかった。ロックンロールはわが生涯の、その終わりまで、バックアップしてくれる誠実な支援者なのだ。
サルサガムテープをはじめた時、ひとつの掟を自分に課した。メンバー個々の世界観を決して否定しない、というものだ。個々の世界観はあくまでも個々人のもので、それを否定する正当性も権利も他者にはいっさいない。だからもしこの掟を破ったら、自分はもうロックンローラーでなく、長年受けてきた支援の理念を裏切るサイテー男になる。
そうやってバンドを続けてきて、ある日、ひらめいた。
ロックンロールと福祉って、根っこは同じじゃないか!
譜面が読めなくても、お金が無くても、アカデミックな教育を受けていなくても、肌の色が違っていても、世界の鼻つまみ者でも、ギターを持って堂々とうたっていいというロックンロールのメッセージは、そのまま、福祉のそれと重なるのだ。
近年、福祉では、バリアフリーとかユニバーサルデザインなどが声高に叫ばれているが、ロックンロールはとっくの昔からバリアフリーだし、コードを三つ押さえられれば誰でも演奏出来るなんて究極のユニバーサルデザインだ。障がい特性に見合った個別支援とか、本人意志の尊重とか、地域支援なども、ロックンロールがさりげなくずうっと昔からやってきたことだ。
そうやってひとつひとつ照らし合わせていくと、ロックンロールと福祉の境目がどんどん希薄になり、ついにはおなじ着地点へたどりつくのだ。
オーケー・ベイビィ・すべてはオーライ!
これを福祉的表現に置き換えるとどうなるか、みなさん すぐピンとくるだろう。
====
この記事を書いた人