#55. いまや世界が燃えているのに
ここ最近よく脳裏に浮かぶ、英語の慣用表現がある。
というのも、この数カ月、英語オタクの呑気なつぶやきがめっきり書けなくなっていて、書こうにもどうも、そういう気分にはなれないのだ。
そういう気持ちになるワケは、次の記事の中でライターの古賀史健さんがキレイに表現してくれている。
古賀さんには目下取りかかっている著書があるのだが、先日その発売を延期することについて考えたらしい。
こういう本をつくろうと思い立ったのは一昨年。構成を固めて書きはじめたのが去年。当たり前のこととして、こういう事態が起こるとは思っていないときに考えられた企画で、平穏無事な世のなかが続いている前提のままに動きはじめた、いわば不要不急の企画である。
で、そういう長期間におよぶものに取り組んでいてつらいのは、豪雪のなかで夏の暑さについて書いているような、現実と原稿の著しい乖離だ。現実の些事をシャットアウトして書くのはへっちゃらなんだけれど、「ものすごくたいへんな現実」を無視するように書くのはとても疲れるし、それでいいものができる気がしない。
そう、ぼくもまさにこの「豪雪のなかで夏の暑さについて書いているような、現実と原稿の著しい乖離」を、なんの変哲もない小ネタを書こうとするときいつも、感じてしまうわけである。
くだらない英語のことを書いてもいいけど、そんなことよりもっと書くべき重大なことが、世界で起こっているでしょう。
そういう声が、脳裏にこだまして離れない。
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さて、「大雪の寒さ」と「真夏の暑さ」を引き合いに出した古賀さんの比喩は見事だが、英語の慣用表現の中にも、同じような行為を表すものが存在する。
◆ fiddle while Rome burns:大事をよそに安逸にふける
直訳すれば「ローマが燃えているときにバイオリンを弾く」。これが転じて「一大事を前に無関心でいる」という意味で使われるようになった。
ローマの皇帝ネロが、町が大火事で燃えている中、リラと呼ばれる竪琴(たてごと)を弾いていたという逸話に由来している。
The Governor fiddled while Rome burned, doing nothing about crime, poverty, and pollution.
知事は、犯罪や貧困や汚染に対して何ら手段を講じようとせず、ただのうのうとしているだけだった。
Twitter には、コロナの危機と絡めた次のようなツイートも、非常に多く見られる:
歴史家たちによれば、皇帝ネロは、ローマが燃えているとき実際のところバイオリンは弾いていなかったという …… だが皇帝ドニー[トランプ大統領のこと]は冗談抜きで、アメリカが一大事だっていうのに、まあ悠長に構えていやがる!
〔イギリスの首相ボリス・ジョンソンが病院でゲームをしたり映画を観ているという報道に対して〕皇帝たち[ここでは各国のトップを指している]は国の緊急事態に安逸をむさぼるなど......
そういえばきのうも、国民の不安をよそに犬とたわむれたり、お茶を飲んだり、テレビを観たりする映像を流して、多くの人の反感を買った「皇帝」がいた気がするが、
そういった不満を、海外にいる友人や世界の人たちに向けて英語で発信したいのであれば、この fiddle while Rome burns はまさしく、おあつらえ向きだろう。
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話は戻って、2020 年、いま世界全体が燃えている。そういった中でこのブログにはどういうことを書いていくべきか、しばらく考えてみることにする。
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※結論はこちら(「月の向こうから、お届けします」)を参照。