真備滞在 リターンズ
写真がところどころ向きがおかしいのはご容赦いただきたい。
久々に見る真備に何を思うのか車窓から物思いにふける。
もう一度真備に行ったら聞きたかった事がいくつかあった気がしたが、真備を目前に倉敷駅で真備に向かう電車を待つ今、もはや何が聞きたかったのかなんて頭には存在していない。ただひたすらに、「気をつけて帰っておいでね!」と私に告げた人に会うことを楽しみにソワソワしている。
というのも、福岡の旅で真備での旅話をして少々の銭を稼いだからだ。それを、直接渡すために今回私はこの地に足を運んだ。少額だが、大きく確かに必要な自分の中での1歩な気がしたから。
ただただ、やりたいから。渡したいから。エゴでしかないから自己満足だと言われても文句はない。価値で測れない、時間とともに風化していってしまう言葉より、確かな価値がこの社会において決められているお金に甘えてしまうことにする。
さあ、下車の時間だ。
うっすらと見覚えのある道を歩き、数週間前に見た景色をまた切り取る。自分の心境を映し出してるかのごとく、日が照りだす。同じ景色を切り取っても以前より少し明るく映る。こうやって、復興していって欲しいなと思う。
見慣れた玄関。うっすらと窓から見える影。帰ってきたなぁという思いがこみ上げてきてウズウズする。
「ただいま!」家に帰るかのように告げる。「おかえり!」の言葉に身体から力が抜けてバックパックの重みが身体を潰す。荷物を下ろすも束の間、写真撮影依頼を貰う。黄昏の写真を撮ってくれ。と。
カメラを片手に欲しい画を求めて東奔西走。文字通りダッシュ。
撮ったものの気に食わなかったので、滞在を1日伸ばすこととする。雑な仕事はしたくない。
夜、同学年の学生と話をした。うっすらと聞いた限りでは、私が真備にいて行ったのとおおよそ真反対の関わり方。というのも、私はひたすら裏方に徹していた。ほぼ前線には出ずにひたすらにカメラを構える。ファインダー越しに被災地を被災者を捉える1週間を過ごしていた。それに対して、ひたすらに色んな人と会話をしていたという。喜怒哀楽、色んな感情に囲まれていたのだろうと推測できる。Facebookの投稿にもそう書かれていた。関わり方によっていろんな見え方がするのだろうと思う。私には出来なかった関わり方。少し羨ましいなと思う。
真備滞在の2日目。
朝、玄関前に食卓を広げてあさげにありつく。外で食べてるとなんとも陽が眩しく、心地よい陽の暖かみに包まれる。目の前の畑で作業をしているおじいさんや犬の散歩中のおばあさん達にお茶を振る舞い優雅な朝を過ごした。前回の反動ではないけれど、少し直に関わるように……。
発災当時の話をおじいさん方から聞いた。話で聞くだけでは全くもって想像の及ばない惨事。ドラマが作れるよ。と仰っていたがまさにそんな話。当事者にしかおそらく景色は脳内にさえ描けないだろうとさえ思う。なので、再現性の低い言葉を羅列するのには遠慮しておく。是非本人らから聞いて欲しい話だ。
じわりじわりと人が増えていく。と言っても1人2人だけれど。少し賑やかになり、仕事の雰囲気が建物全体へと広がっていく。真剣な顔を写真に収めるのもいいが、その雰囲気に身を任せて本を読むことにした。昨晩、かなりの量を薦められて、読書意欲にはっぱをかけられたのだ。カフェで仕事するのなんかもこの感覚に近いのだろうなぁなんて空想する。
と、ふと声を掛けられる。名刺交換をして軽く会話をする。「良いカメラだね。」こんな写真撮ってるんですよ。と3月の頭に綴ったものを見せる。
……と、あれ?私もここに居たよ?と。チラホラと写っていた。どうやら私のことは認識していなかったようだ。人の写真を撮るとは言っても、こっそりと陰からその人のナチュラルな表情を切り取るために完全に気配を殺している。認識してもらえないというのは、自分にとってはまさにひとつの完成形なのではないかな?なんて思う。
前回来た時も悩んだ、“支援とは”
何もしない事が支援なのだ。という話。支援するためには、相手のことを知らないといけないし、その前にまず自分を知らないといけない。
何もしてはいけない。というのは実際にやってみると想像より一層苦痛でなかなか難しい。そこを乗り越えないと、本当は関わってはならないのだろうと思う。激しいミスマッチが発生してしまうから。
被災者は差し伸べられたそれを
ありがとう。
と、受け取る以外の選択肢が取れない。断ると、欲しいものも来なくなってしまうから。そうすると、支援者も被支援者も疲弊していく。だから、何もしない事が必要なのだ。まず、関係性を構築する。その一手は省いてはならない黄金の一手のように思う。
ひたすらイベントをするボランティアに関してもそう。みんなの憩いの場で、リビング的立ち位置の場で毎週イベントをされると休まるものも休まらない。イベントをすれば元気になるなんて言うのは支援者の妄想の塊でしかない。
ひたすら語る1日。写真について。夢について。話しながら自己理解が進んでいく。自分でも気づかなかったことに気づいてゆく。写真を通じて土地の素敵なところを伝えたり、その写真の魅力を逆に伝えてもらったり。
【知るためには知ろうとしないと知れないが、知ろうとしすぎると知ることは出来ない。】関係性をゆっくり地道に築き上げていくことでしか何事も大成しないのだろうなと感じた。話しながら強く感じたのは、共有が本当の意味で出来ないつらさ。きっと、言葉にして伝えればリアクションは誰なりから貰うことが出来る。だが、それは自分の感じた内のほんの何割かしか伝わらない。残りは想像力で賄うしかない。どれだけ突きつめても、本当の意味で共有することが出来ない。ものすごくもどかしい。
この地にいて、“考えながら過ごす。”ただそれだけで、この上ない程悩み、多くを吸収する。インプット過多に陥り、文字に想いを書き起こす。それでさえアウトプットするには足りない。誰かに話したい。誰かと共有したい。その想いが重ねた時間に比例するように膨らんでいく。その時に、共有出来る誰かが居ないことがどれだけ辛いことか。
きっと、同様のことが被災地で起きている。想像することしか出来ないが、悶々と抱えるそれを、おいそれとは簡単に近くのものには伝えられない。自分の思っていることが変に流布してしまえば、居場所を失うかもしれないから。遠くから足を運びやって来るものにしか伝えられないのに、伝えるまでの関係性を築くことは多くはない。そうして、被災地には言葉にならない想い、感情が渦巻いていく。じわりじわりと溜まっていき、毒となり、精神に少しずつダメージを与えていく。私が介入することで解毒になれば幸いである。
どうか、外から入ってくるならただ土足で踏み込んでいくのではなく、関係性を築いて欲しい。挨拶して靴を脱いでから家に上がるように。需要とズレた供給はまさに土足で踏み込んでいく行為なのである。放っておいてもダメージがある所にさらに無駄な刺激を与えないで欲しい。本当の意味でそれが人のためになっている行動であるのか。それを噛み締めながらボランティアに参加して欲しいなと思う。
この文章を書きながらずっと思うのが、最大級の自分へのブーメランなんじゃないかって事。強めに綴りながらも、内心ではとてもビクビクしている。かと言って、それを他人から指摘されても何も思わないのだけれど。受け入れてくれているこの人たちが本気で歓迎されているのか分からなくなる時がある。きっとこの人たちが悪いのではなく、色んな感情にあてられて、捉える時にブレてしまうんじゃないか。と、考えている。
本当にここに、真備に居ていいのだろうか。来ていいのだろうか。そう自問しながらも、私はまだここに来るような予感もしている。本当に不思議な場である。学生の立場を全力で活かして、学び取りたい。学び尽くしたい。ここに居るだけでものすごく悩むから。悩むことが前に進むための兆しと信じて。
写真には意図がある。
本当は2枚とも逆さま。けれどそれでも成り立って見える。
目の前に見えているものは本当にそうなのか。実はてんで反対方向向いてるんじゃないのか。もしかしたら正解の方向なんてなくて、決めて動くしかないんじゃないのか。そんな思いを込めて。
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