アンバーグリスの心臓
クジラ狩りの船団が空と海とに浮いていた。
初猟日の空はその年も底抜けに晴れて、天国の跡地まで見通せそうだった。
人だかりのできる港を避けて、ミオは町はずれの砂浜で一人、遠ざかる船影を見送った。
武装飛行船の細い腹はみるみる小さくなって、もう米粒のようだ。その影を追いかけるように、網や大砲を積んだ大型漁船の群れが海上を走っていく。
漁船の一つにはミオの父親も乗っていた。
家を出る前の早朝、父は身支度をしながらひとしきり愚痴をこぼし、最後にはミオの頭に掌を乗せてお決まりの台詞を言った。
「とにかく、お前は飛行船乗りになれよ。クジラと戦う本物の戦士にな。海の仕事はつまらんもんだ」
しかし、ミオは父が宴会で酔っ払った時などに聞かせてくれる、海から見上げたクジラ狩りの景色が好きだった。
はるかな高空、雲を蹴散らして怒り狂うクジラの影。
つかず離れずの距離を保ってその巨体にまとわりつき、方々から銛を打ち込む飛行船団。
しとどに散る血液の生臭い霧雨。
やがて空を裂く悲鳴の尾を引いて、ゆっくりとクジラは海面へ墜落する。
天をつく水柱がそそり立ち、赤黒く濁る荒波を突っ切って、漁船は急ぎ沈みゆく死骸を回収に向かう。一足早く群がり始めている海鳥たちを追い払うため、でたらめに空砲を撃ち鳴らしながら……
「とにかく空のほうが似合いだよ。お前みたいな〈天使の殻〉には」
父は何度もそう言ってミオの頭を少し乱暴に撫でた。その掌から伝わる温かい哀れみの感情を心地よく受け取りながら、ミオはいつか父と共に海に出る日を漠然と夢見ていた。
その日、狩りに出かけた父らの船団は空・海問わず一隻も戻ってこなかった。
同日、夕暮れ時、ミオは波打ち際でひとかけらの灰コハクを拾った。
クジラの腹の中から採取されるというその希少な石は、立ち尽くすミオの裸足の傍にいつの間にか転がって、茜色の波に洗われていた。
言い残した何かを伝えに、海からやって来たように見えた。
(続く)