日刊ほぼ暴力#308

「……貴様が最後か」
濃い影が背後から覆い被さった。血塗れの足を引きずり走っていた老人は、ついに観念したように立ち止まった。振り返ることもせず、首を差し出すかのようにそのまま項垂れる。老人を追っていた黒甲冑の男は、瓦礫の道に硬い靴音と拍車の音を響かせてゆったりと距離を詰めながら、鈍く光る大剣を高々と掲げた。その耳に、老人の呟く声が届く。
「お救い下さい、――様」
甲冑の男は微かに眉をひそめる。老人の言葉は呟くようではあったが、聞き取れないほどの声量ではなかった。途中で声を低めたということもない。にも関わらず、老人の縋ったその名だけが男には全く聞き取れなかった。いくら聞き知らぬ神の名といえど、その語の響き程度は聞こえないはずがない。確かに聞こえていた。しかし、分からない。男の足取りが僅かに鈍る。直後、老人は顔を上げ、今度こそ朗々と響かせるように同じ言葉を叫んだ。
「あなたの哀れな子を、異教徒の手からお救い下さい、――様!」
その名はやはり、男には届かない。
「何だと……?」
甲冑の男はついに足を止めた。明らかに理解を越える現象が起きている。冷や汗が額を伝う。
それから、どろりとしたものが耳の穴から溢れ、顔の輪郭に沿って流れる。
「……な」
「あなたには、私の名を耳にする資格がないのです」
男のものとも女のものともつかぬ、静かな声が響いた。

(566文字)(続かない)

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