青の剣の継承者#7-4
(1)
(前回)
リューリは手を伸ばすこともしなかった。
両手は剣の柄に、速度も緩めることなく駆け抜けざま、ただそれを一瞥した。
瞬間、投げられた〈遺物〉の軌道が空中で鋭角に折れ、加速。
一直線の残像を引き、それは――知られざる智恵を秘めた古代の機構、忘れられた神秘の再生装置ではなく――超高速で射出された一つの金属塊として、弾丸の如く獣の額へと突き刺さった。
骨が陥没し、肉が爆ぜた。
眼球が飛び出し、あるいは破裂した。
血とも脳漿ともつかぬ夥しいものが噴き出し、蒸発することもなく撒き散らされた。
斬りかかる前に礫を飛ばし敵の注意を削ぐ、それはリューリにとって頭の中で何度となく描いた自明の、殆ど無意識の戦法だった。
それそのものが今や致命的な攻撃になりうることを、彼は認識していなかった。
――たとえそれが、存在しているだけで周囲に異常をきたすほどの魔石であろうと。出力の限界を取り払われた彼の魔法が、それだけで弩砲にも等しい破壊力を生み出せようと。
己の手にしている物を、少年はあくまで『剣』と定義していた。
ゆえに『斬って殺す』、想定する結末はそれのみだった。
「ゴホッ、行け……! とどめを!」
苦痛に堪えながらメイルが半身を起こし、叫ぶ。
リューリは〈青の剣〉を掲げる。
飛沫を上げて降り注ぐ血の雨越しに、二つだけ残った獣の眼光とリューリの両眼がかち合う。
何も見えてはおらず、何も聞こえてはいない。
少年の脳内には、ただ一閃、敵を断ち斬る剣の軌道のみが描画されている。
魔法が意志をなぞり、それを現実のものとする。
速度。鋭さ。力強さ。記憶の中の確固たるイメージを、全ての点で超えるように――
……快い音を立て、積み上げられた藁束が支えの木組みごと両断される。
ヒノオがゆっくりと鋼色の剣を下ろす。
瞬きせずに見守っていたリューリは何度も目を擦る。目蓋の裏に焼き付いた剣閃は消えない。
……「やめとけ。お前みたいなヒョロガキに振り回せるもんじゃねえ」
「だったら鍛えてくれよ。オレに剣術を教えてくれ」
……古傷の目立つ顔。空っぽの右袖。その男の周囲に漂う尋常ならざる気配は、リューリにとっての希望だった。
突然使えるようになった魔法。国中に現れ始めたという化け物。
赤い星が叫びを上げたあの日から、世界は明らかに形を変え始めている。
それなのに、何事もなかったかのように続いていこうとする村の日々が歯痒かった。
……「強くなって、お前は何がしてえんだ」
「強くならなきゃ出来ないことがしたい。なあ、アンタ強いんだろ? アンタは何が出来る? 化け物にも勝てるか?」
「俺は……」
――〈鬼火狼〉は後足で立ち上がろうとした。
天へ咆哮するように巨体を擡げ、血を溢れさせる歪んだ頭部を攻撃者から遠ざけようとした。
その額に、既に〈青の剣〉は沈み込んでいる。
「っぉぁあああああ!!」
ありったけの膂力を振り絞り、リューリは剣を振り下ろす。
その数十倍に値する力で、魔法が剣に『下へ』と命ずる。
刃は勢いを殺すことなく押し込まれていく。
恰も見えない何者かが力強い手を添えているように。
ひび割れた頭蓋を砕き、脳を斬り進み、鼻面を、顎を断ち、喉へ、胸へ――!
青い閃光が正中線を走り、巨体の上半身を真っ二つに引き裂く!
――あらわになった胸腔の内の闇から、霧のようなものが溢れた。
それは血液ではなく、熱を纏った攻撃でもなかった。
修復不能となった〈マナの獣〉の肉体が内側から急速に崩れ、元のマナへと還っていく。
「勝ったぞ。師匠」
呟き、落下する少年の姿が霧の中に呑み込まれる。
既にその喉が分解されているにも関わらず、獣は断末魔の叫びを上げ続ける。
あるいは解放の喜び、あるいは快哉の叫びを――
◇
「おい! 無事かお前らァ!」
枯れかけた声で叫びながらイルハが対岸から駆け寄った時、そこにはまだ僅かな熱と悪臭の残滓が残っていた。
思い出したように吹き始めた夜風が、それすらも瞬く間に散らしていく。
「メイルの方を、先に」
気を失っているリューリの様子を確かめたニズが、端的に治療の優先順位を告げる。
彼の懸念は明らかに少年の傷よりも、その近くに転がっているひしゃげた〈遺物〉の方に向かっていた。
メイルは熱傷を庇いながら慎重に顔を上げ、〈マナの獣〉の死体が消え去った跡へ視線をやった。
たった一つ、解けた〈呪い〉の核だったものが消え残り、抉れた土の上に横たわっていた。
……禍々しい筆跡めいた痣にびっしりと覆われた、それは人間の右腕だった。
(8に続く)