神様を忘れた夏
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僕が生まれて初めて女子に告白されたのは、東京にドラゴンが現れた日の夜のことだった。
「好きだから、死んでほしくないよ」
とっくに日の落ちた、夜の学校のプールの底で。湿った水色のタイルの上に二人で並んで寝そべり、真っ暗な水面を見上げていたとき、古屋夕雨香は確かにそう言った。
プールに張られた水は物理法則に反して僕たちの周りを避けていたので、僕たちは息も吸えたし言葉も交わせた。まるで透明なガラスドームの中にいるようだった。しかしそこに何の壁も膜も存在していない証拠に、水の半球の天井に手を伸ばすと、とぷん、と生ぬるい水中に違和感なく指が沈み込んだ。
「えっと……ありがとう」
何と返せばよいか分からず、結局僕はお礼を言った。
直後、プールの上を懐中電灯の光が一筋撫でた。僕らは口を閉じ、身を強張らせた。光は校舎の窓から漏れ出たものらしい。その後も何度か見えたが、足音が近づいてくる様子はなかった。
「私の情報が洩れてたら真っ先にプールを探すはず。……あの人はやっぱり私たちの味方だ」
夕雨香が声を殺して呟く。あの人というのが誰のことかは知らないが、その人も僕を助けてくれようとしているのだろうか。
なぜ、という疑問が無数に浮かぶ。
いつも通りの日常が流れていた昨日まで、僕の存在など水のように透明だった。僕は本当はここにいない、いるはずのない生き物なんだと思っていた。あのドラゴンがそうだったように。
「いつまでこうしていればいい?」
「奥の校舎を探しにあいつらは移動するはず。その隙に出よう」
「その後はどこに?」
「さあ。どこまででも、逃げたいだけ逃がしてあげる。私と私の友達が――」
「いや」
僕はゆっくりと首を振る。懐かしい金色の鱗が瞼の裏で波のように光る。その冷たい手触りを思い出す。
東京の空を泳ぐ彼はもう、孤独ではないのだろう。今の僕がそうであるように。
「僕はドラゴンを倒しに行くよ。あれは、僕が招いた神様だから」
(【7/28】に続く)