日刊ほぼ暴力#322
銃声を聞きながら海に飛び込んだ時までは、確かに手を繋いでいた。水面に顔を出さないまま可能な限り遠くまで行こうとして、彼女に手を引かれながら自分でも必死に水を蹴ったけれど、段々目の前が暗くなってきて気がつくと全身でもがきながら上を目指していた。ようやく酸素にありついて、意識が鮮明になった時にはもう彼女はいなかった。暗い海面だけが周りに広がっていて、僕は一人だった。岸はまだ思っていたよりもずっと近くにあったけれど、施設からは陰になる位置まで流されていて明かりはここまで届いていなかった。空になった両手を漂わせて、僕は少しの間呆然としていた。ここからどこへ行けばいいのか、どうやって生き延びればいいのか、それはすべて彼女が知っていた。僕は恐る恐る、もう一度水の中に顔を付けた。真っ黒で何も見えない。何も聞こえない。このままこうして待っていれば、彼女は戻ってくるだろうか。ぶくぶくと、口の端から命が逃げていく。
温かいものが突然背中に触れた。人間の手だった。僕は顔を上げ、振り向いた。音もなく近付いていた小舟がそこにあって、小柄な影がひとつ乗っていた。
「生きてたのか。よかった」
影は囁き、僕の腕を掴もうとした。舟に乗せようとしている。僕はそれを振り払おうとした。
「姉さんを待ってるんです」
「いいから、乗れ」
声が少し強まり、そいつが年とった男だということが分かった。
(579文字)(続かない)